2013年04月26日

ただ、この一事に努む

「兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。
ただ、この一事に励んでいます…。」ピリピ3:13

「ただ、この一事に努む」

これは古い方の訳なんですが、小学校6年の時に、父親から座右の銘として与えられた聖書の一節です。

…って、父親の座右の銘だったってわけじゃないですよ。
私の座右の銘として、父が決めて与えられたんです。。(^_^;)

座右の銘って、自分で決めるもんだと思うんですけどね。。
もちろん、その時まで、こんな言葉は私の右にも左にもいらっしゃいませんでした(笑)

うちの父親は、よくいえば信念が強い、悪くいえば強引。
今、思えば、面白いキャラですけどね(^_^;)

おかげで、この一節は非常に印象深く脳裏に刻まれ、いまやしっかり座右の銘に近くなっているのでした(笑)

えーい、くそ!

それはそれとして、新年から始めたこの聖書の小話ですが、最近、土日も外部奉仕が続き、普段は会社ですから、なかなか打てずにいました。
こうした文章書くだけの時間…というか、ゆとりというか、思考能力、頭が回らなくなってしまうんですよね。。
そうこうしていくうちに、1日1日過ぎちゃいます…(^_^;)

そんな時に思い起こすのが…

「ただ、この一事に努む」

うお、出やがった!

…というわけで、この言葉について書いてます(笑)

ま、自分という小さな器には、能力、体力、時間…様々な限界は付き物です。
それで自分を否定する必要は全くありません。

「ただ、この一事に努む」

たとえ理想通りに、完璧にはできていなくても、今の自分にできること、そこに懸命に取り組めているか…なんだと思うんです。
ただ、この一事に努めていきたいものですよね(^^)

「兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。
ただ、この一事に励んでいます。
すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」
ピリピ3:13〜14




posted by holyhope at 23:21| Comment(2) | TrackBack(0) | 聖書の小話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月06日

高ぶることなく

…同じように、若い人たちよ。長老たちに従いなさい。
みな互いに謙遜を身に着けなさい。
神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。
1ペテロ5:5

先日、メッセージをインターネットで動画配信しようという試みで、初めてカメラを相手にメッセージをしてみました。
やってみると、人前で話すのとは、全く違うものですね〜。
ただいま教会のメンバーが、編集してくれているのですが、動画だと自分のアラもよく見えます。。(^^;;

その辺、超ベテラン宮村牧師は、さすがです。童謡から手短かに聖書を語っちゃうんです。

ですが、これもいい経験。
習うより慣れろで、やってなんぼなんだろうと思います。

…が、二つの怖さを感じました。

まずは、そんな未熟な者なのに、ネット上で配信するということ。。
恥ずかしさ半分、なんだか恐れ多くも感じてしまいます(^_^;)

それと同時に、もし、これが、うまくできるようになった時に自分に起こるであろう驕り、高ぶり、高慢です。

今は全然なのですが、カメラの前でもうまく話せるようになったら、つい、
どうだ、大したもんだろう!
…って、思っちゃうと思うんですよね(^^;;

でも、この「高ぶり」こそが、要注意。
福音の本質まで失わせてしまうんです。

私たちの罪が赦されているのは、あくまで神の恵み、あわれみです。
自分の努力、行ない如何ではありません。
クリスチャンになっても、伝道者になっても、しかりです。私たちは、あくまで赦された罪人にすぎません。

ところが、ちょっと何かうまくできるようになっただけで、すぐ鼻が高くなってしまう…(^^;;
はあ、なんと高慢な者でしょう(笑)

これも言ってみれば、自己中心的な罪人である証拠ですよね。

高ぶりに対する注意は、聖書に度々でてきますが、実際、高ぶりというのは、自分の身の丈、本質を見失わせてしまうのです。
上から目線で人を見下したり、虐げたりしてしまいます。

怖いのは、その高ぶっている最中は、本人も高ぶりであることに気づかないのです。

時折、教会内でのカルト化、信仰的なハラスメントが問題になることがあります。
最初は純粋な動機で始めたことであっても、実績が積まれてきた時に、指導者が力を持ちすぎて、不当な形で信徒を支配してしまうなんてこともあるんです。
これらは、時に金銭トラブルや、パワハラ、セクハラ問題となって、はじめて実態が表面化するのですが、それらがどういうふうに現れるか、一つ一つの事例は、表面的な結果にすぎないと思っています。
指導者といえど、やっぱり罪人だというだけの話なんですよね。

にもかかわらず、いつのまにか、そんな罪人が力を持ち、狭い世界で自分を絶対化させてしまう。
それは本人ばかりではなく、周囲に取り巻く人たちも含めてです。

これこそが問題の本質、その根本には、やはり高ぶりがあるのではないでしょうか。

ところが、当の高ぶる本人は、気がづかない。周りの忠告にも耳を貸さない。だって、高ぶってるんですからね。
むしろ、忠告や反対する人たちに、被害者意識で敵対していくのです。

だから、怖い。。

ですが、正直、素直に告白してしまいますが、私も、同じ高ぶる要素を抱えている罪人だということです。

わー、やだやだ(^_^;)

皆さんは、どうでしょうか。。

いいんですよ、正直で(^^)

主は高ぶる者を退け、へりくだるものに恵みを注がれる…

へりくだるというのは、ありのままの自分を認めることなんですよね。
高い自分を低く見せることでも、高ぶっていない振りをすることでもありません。
低い自分を、そのまま低いと、蔑むことなく、素直に認められる、これこそが、へりくだるということです。

些細なことで高ぶり、人より優れた者だと勘違いしてしまう…
自分がそんな小さな罪人であることに気がつき、素直に認められたら、仮に高ぶってしまっても、自慢にもならなくなりますよね。

アホだよな…で終わるんです(笑)

むしろ、そんな高ぶるアホをも愛してくださる神に感謝!
注がれている恵みを受け取ることができるのです。

わお!(^^)

だから、あらかじめ皆さんにはお断りしておきますが、私は些細なことで、高ぶるアホなんです(笑)
ま、本当に高ぶってたら、ハエたたきか何かで落としてください。

ですが、そんなアホもアホなりに、神の恵みを恵みとして伝えていこうと思うのです。

ちなみに、メッセージ動画。
ただいま、なんとか見れるレベルになるように、一生懸命、編集してくれていますので、しばらくお待ちくださいませ(^_^;)


…そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、言われた。
「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者と認められた者たちは彼らを支配し、また、偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます。
しかし、あなたがたの間では、そうでありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。…」
マルコ10:42〜43

posted by holyhope at 11:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 聖書の小話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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