2013年12月30日

「朝明けには喜びの叫びがある」詩篇30篇


(2013.12.29 シャローム福音教会)

クリスマス終わって、急にまた一段と寒くなりましたね。
今年一年、皆様、どんな一年でしたでしょうか。

いよいよ、今年、最後の礼拝になりました。今日は、歌と説教で半々とさせていただきました。

実は、今回、静のCDは、この詩篇から、インスピレーションをいただいて、タイトルをつけているんですね。

30:5 …夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。

1枚が、賛美歌を集めた、Before the Dawn 夜明け前。
もう1枚が、オリジナルソングを集めたBrightest Morning 明るい朝。

1枚1500円、2枚で3000円、ちゃっかり宣伝しているんじゃないかと思われそうですが、長い話を短くすれば、まあ、そうなんですけどね。

今回のCDには、静なりの東北への思いが込められているようです。

来年の3月には、東日本大震災から満3年を迎えようとしていますが、被災地では、まだまだ復興途上にあるのが現状です。
12月には、福島の南相馬に行ってきましたけれども、警戒立入禁止区域の浪江町境にある牧場では、およそ3マイクロシーベルト〜4マイクロシーベルト。
それは、このあたりの50倍〜100倍くらいの放射線量となるわけです。

そのあたりは立入は許されていますが、居住、住むことは許されていません。
牛たちは放牧ではなく、半ば放置、草が食べられるように、放たれたままにされています。
でも、牛たちはやせ細っているのが現状です。

もう1日は、もう少し北の相馬市の仮設住宅を訪問もさせていただきましたが、そこには、やはり放射線量の高い飯館村の方々が、集団避難されているんですよね。
子供もいる働き盛りの若い世代は、県外へ職を求め出て行き、残されている多くは高齢者が中心。お年寄りがお年寄りの手を引き、車椅子を押している状況です。

何もなかったら、自分が手に負えるくらいの畑仕事でもしながら、自分の慣れ親しんできた土地で、残りの余生を暮らすはずだったのかもしれません。
ところが今や、アスファルトの上に立てられた、プレハブの仮設住宅の暮らし。
生活環境があまりに変わって、楽しみも、少ないわけです。

そこに静が歌を歌い、一時は、楽しんでももらえるわけですが、帰るころには、「帰り際がさみしいんだよね」と語る方もいらっしゃるわけですよね。
単に、生活ができるか、できないかだけの問題ではないんですよね。

東京オリンピックの選考会では、わが国の首相いわく、福島の原発は「アンダーコントロール」、管理されているらしいですが、これが「コントロール」されているというのであれば、ほとんど見て見ぬ振り、無視に近いんじゃないかと思うわけです。

私たちは、まやかしの言葉で、「コントロール」されてはいけないな…と思うわけです。

私たちができることは、小さなことかもしれないですが、しっかりと現実を見据えた上で、自分たちにできることをしていきたいものですよね。

さてさて、決して、東北のみならず、私たちの人生は山あり、谷あり。
いいことも、悪いこともあるものですよね。

クリスチャンになったら、いいこと尽くめ。すべてが、うまくいく…なんてことはないわけです。
クリスチャンになっても、ならなくても、災害に会うこともあります。病気になることもあります。思わぬトラブルに巻き込まれることもあります。

あの…残念なお話ながら、東北の震災を、まじめに神の裁きだという、クリスチャンもいたりするわけですよ。はっきりいいますが、100%、聖書的間違いですからね。
ただ単に自分が災難にあっていないから言える、自信過剰のこれぞ罪。

言葉が悪くて、本当に申し訳ないですが、ほんと、私がクリスチャンじゃなかったら、俺がお前に災難、神の裁きを下してやろうか…って話なんですよ。

日本は地震でできた国。いつかは、関東にも大きな地震はきます。
私の実家、静岡なんて、近いうちに必ず大きな地震が来ると言われ続けているんですから。
それが日本の自然。でも、その自然界の恩恵もたくさん受けて、私たちは生かされているわけですよね。
私たちも、この日本、地球に暮らしている限り、こうした災害、災難に会うことは、十分、ありえるわけですよね。

私たちは、その日本の自然の中で生活していることを前提にしておくべきなんですよね。
だとすれば、福島の事故に至っては、言うまでもなく、地震や津波、日本の自然を甘く見た、100%人災なんですよね。。。

この詩篇30篇は、ダビデは大きな危険からの救いを主に感謝している詩です。
2節、3節を見ると、死を予期させるような、重い病気にかかったのではないかと考えられます。
信仰深かったダビデもまた病気になるんです。

ですが、単に、病気にかかったに終わらず、

30:2 私の神、主よ。私があなたに叫び求めると、あなたは私を、いやされました。

ダビデは、神にあって生かされていることを感じ取っているわけです。

私も、クリスマス直後ですね、首の左側のリンパ腺がはれてしまって痛かったんですよね。特に風邪も引いてないのに、こうなるのは、はじめてだったんで、最初ちょっと、何の病気かと思って、内心、びびったりもしたんですけどね。

しかし、私たちには、感謝なことに、イエス・キリストにあって、すでに永遠の命が保証されているわけです。
死は、瞬間、恐れはあっても、絶望ではない…、死の先にすら希望がある、
これは、信じる信仰によって与えられる、クリスチャン特有のものでしょう。

30:4 聖徒たちよ。主をほめ歌え。その聖なる御名に感謝せよ。
30:5 まことに、御怒りはつかの間、いのちは恩寵のうちにある。夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。
30:6 私が栄えたときに、私はこう言った。「私は決してゆるがされない。」

「まことに、御怒りはつかの間、」
神様は、人間ほどには、怒ったり、裁いたりしないのかもしれない。
逆に言えば、私たち人間のほうが、人を裁いたり、怒ったりしてしまうのかもしれないですよね。
実に、神様は、クリスチャンであっても、そうでなくても、恩寵、恵みのうちに、生かしてくださっているわけです。

この聖書の神様を信じるということは、人間が自力で生きているのではなく、この神様の恩寵、恵みのうちに生かされているものであるということを認める、受け入れるということなんです。

毎年、年末には、よくお話をさせていただいているんですが、初日じゃなくても、ぜひ、皆さん、機会があれば、日の出を見に行ってみてください。

私たちは、天地万物を創られた、もちろん太陽も、この日の本、日本も作られた神様を信じているんですよね。
日本人は、太陽そのものに神を感じて、知らずに拝んでしまったわけですが、私に言わせれば、これは惜しいことなんです。実に、太陽の向こうに、太陽を創られた神がいるわけですよね。

八百万の神を信仰するということで、キリスト教会では否定的に語られてしまうわけですが、でも、見方を変えればですよ。この自然界、森羅万象、あらゆる被造物の中に、直感的に「神」という存在を感じ取ってきた民族でもあるわけです。

反対に、クリスチャン、聖書学者、私みたいな伝道者も、つい、うっかりすると、聖書そのものばかりに集中してしまい、この自然界に疎くなってしまうことがあるように思います。
でも、この聖書そのもの、本そのものの中に、神様がいるわけではないですよね。

この全宇宙、大自然の中で、これらを創られた神様によって、わたしたちは、生かされている…、そのことを伝えてくれているのが、聖書だったりするわけです。

ですからね、ぜひ、みなさん、機会があれば、日の出、見てきてください。
夜明け前、まだ日が出る直前というのは、一番、寒かったりするんですよね。。。

ところが、暗闇を引き裂くように、太陽が顔を見せる瞬間、強烈な光とともに、熱を感じるわけですよ。
鳥たちは飛び立ち、生命が喜びの声を上げる。

30:5 まことに、御怒りはつかの間、いのちは恩寵のうちにある。夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。

繰り返しになりますが、人生は山あり谷ありです。
今年一年、この終わりのときに、あるいは苦しみの中にある方、悲しみの中にある方いらっしゃるかもしれません。

しかし、今日も自然界の恵みのうちに生かしてくださる神様がいます。

今は涙があっても、明けない夜もありません。

夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。

嘆きを踊りに、荒布を喜びに、変えてくださる神様がいます。

共に喜び、共に泣く…、そういう仲間、神の家族もいます。

あのカルバリの十字架を背負われたイエス・キリストもまた、あなたの苦しみ、病、悩みを共に背負ってくださる、そういうお方です。

30:11 あなたは私のために、嘆きを踊りに変えてくださいました。あなたは私の荒布を解き、喜びを私に着せてくださいました。
30:12 …私の神、主よ。私はとこしえまでも、あなたに感謝します。

2014年もまた、皆様にとって、喜びと感謝にあふれた一年になりますように、お祈りしております。


posted by holyhope at 17:08| Comment(0) | TrackBack(0) | メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月24日

家畜小屋で生まれた救い主

(2013年12月24日 聖望キリスト教会 イブ燭火礼拝)

メリークリスマス!

今日は蝋燭の明かりの中で、静かにクリスマスを思うときが与えられているわけですが、皆さんはどのような思いでお迎えでしょうか。
それぞれに感じるところがあるのではないかと思います。


今年のクリスマスに当たって、私個人が考えさせられたのは、イエス様がお生まれになったのが、実に、家畜小屋だったということなんですよね。。。
それは、ただ単に宿屋がいっぱいでとか、そのほうがお涙ちょうだいできる…ということではないんです。


ルカの福音書
2:12 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。


これが、「あなたがたのためのしるし」だったんです。

よくメッセージでは、家畜小屋だったからこそ、羊飼いも救い主の元に行くことができた…なんてお話したりもするんですが、羊飼いたちは、当時、最も身分が低く、人々から大変、嫌われる職業だったんですね。そんな羊飼いたちは、救い主知らせを受けて、急いで行き、喜んで帰っていったと聖書では書いてあります。

でも、自分だったら、どうでしょう。。。
家畜小屋で生まれた赤ん坊を、果たして、救い主として受け入れられるでしょうか?
あるいは、反対に、もし自分が救い主の立場だったら、あえて家畜小屋で生まれたいって思うでしょうか。正直ね、そうは思えないような気がするんですよね。

先にお読みしたミカ書の預言では、こうあります。


5:2 ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。
その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。

ベツレヘムは昔からある丘陵地帯にある農村地帯です。
ダビデの町、ダビデ王の出身地ではありましたが、この預言者ミカの時代になると、ベツレヘムは、小さなもの、小さな村となっていたようです。

でも、その小さなベツレヘムから、イスラエルの支配者が出る。しかも、それが昔から、永遠の定めであると言うわけです。

その小さなベツレヘムの、しかも家畜小屋。当時は、洞窟を改造して作られた家畜小屋であったとも考えられています。
その家畜小屋に主イエスは、お生まれになったわけです。


私たちは、ついつい大きなもの、立派なものに目が向いてしまいがちかもしれません。

キリスト教会も、何人の教会になったとか、立派な会堂が建ったとか、そちらの方に目が向きやすいし、その方が説得力もあるのかもしれない。
でも、神様は、目立たず、弱い、小さな者の方へと目を注がれているわけです。

かつて、私が神学校時代に、講師に来た先生が、こんな風に言ったんですよね。
「私は、1000人の人たちが集う日本で最も祝福された教会の牧師をさせていただいてるものです。」


私も、高慢というか、鼻っ柱だけは強い、生意気な若造でしたからね。。。
「何を〜!。聖望教会は30人だけど、世界でもっとも祝福されている教会の一つじゃ」と、口には出さないまでも、そのくらいには思ったりしたもんです。

決して、大きいこと、人数が増えることがいけないわけではないです。むしろ、目指すべきかもしれない。でも、小さな者、小さな群れ、小さな教会を軽んじてもいけないんです。


聖望教会も最初5人から始まったと聞いています。その最初の5人の小さな群れの中にも、主は共にいてくださり、祝福してくださっていたんですよね。世界でもっとも祝福されている教会の一つだったんです。だから、今もあるわけですよね。

仮にこの先、聖望教会が100人、1000人になったとしても、その大きさを誇るのではなく、最初の5人の小さな群れを軽んじなかった主を忘れない、そんな主を誇るものでありたいものですよね。


私たち自身は、どうでしょう。。。
私たちもまた、クリスチャン、5年、10年やっていると、小ささを忘れて、大きなものになってしまうことがあるのかもしれない。私なんか要注意ですよね。元々、高慢なものですから。外部でいろいろ活動していけば、もっと高慢になっちゃうかもしれないですよ(笑)。

逆に言えば、心のうちには、そういう罪の性質もしっかり抱えているんですよね。

どんなに綺麗に掃除していても、実は、今もなお、醜いもの、汚い言葉も出てくる、まさに家畜小屋。いろんな欠点や弱さ、罪もある、小さな者かもしれません。

先日の宮村先生の説教から借りれば、今もなお、闇がある…それが真実でしょう。
クリスマスは、自分自身の内にある、そんな家畜小屋を思い起こす時なのかもしれない。

でも、いいでしょうか。ここがポイントです。

主イエスは、私たちの心の綺麗で立派な部分というよりは、その家畜小屋にこそ、来てくださるお方なんですよね。


 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。
 これが、あなたがたのためのしるし…


クリスチャンになったばかりの時も、もしかしたら今もなお、家畜小屋同然のような私たちの心に、命を宿し、そればかりか十字架の愛によって、洗い流してくださっているのがイエス・キリストです。

家畜小屋のような私たちの心にも来てくださる救い主を、感謝と喜びをもってお迎えする、そんなクリスマスでありたいものですよね。
最後に、ヨハネの福音書1章4節、5節を共に味わいたいと思います。

…この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
  光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。

タグ:クリスマス
posted by holyhope at 14:51| Comment(0) | TrackBack(0) | メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ニュースレター第6号

ご支援いただいている皆様方へ

イエスキリストのご降誕を心よりお祝い申し上げます。
いつも、私たち夫婦の活動のためにお祈りいただきまして、誠にありがとうございます。早いもので今年ももうクリスマスですが、イエスキリストがこの世にお生まれになったその恵みを今一度思い起こし、感動を新たに、伝道の働きを進めていきたいと思っております。12月も様々な場所でご奉仕させていただく予定ですが、一つ一つを大事に、主にあって誠実に行っていきたいと思っております。ぜひお祈りによって支えていただけましたら感謝です。

また、以前よりお知らせしておりましたが、6年ぶりになる静のCDが無事完成、11月2日に発売開始となりました。皆様の応援、お祈りに心から感謝いたします。

静にとって、やはり2年半前の東日本大震災が自分が歌う意義を問う、大きな契機になったようです。

東北支援活動も、10月には石巻の仮設住宅を訪問、11月には南相馬へと訪問いたします。現地は、まだまだ復興途中です。細くても長く、私たちも引き続き、支援していきたいと考えております。

今後とも、ご支援、お祈りのほど、よろしくお願いいたします。

>>>PDF版ニュースレター第6号.pdf

>>> 東北支援レポート2013年下半期(聖望キリスト教会)

■活動報告

11月30日(土) 相馬市・仮設住宅/クリスマスコンサート
        南相馬・原町聖書教会/クリスマスコンサート
12月1日(日)  南相馬・原町聖書教会 力・メッセージ/静・礼拝賛美
12月5日(木) 茅ヶ崎・聖鳩幼稚園(茅ヶ崎シオン・キリスト教会)  静・クリスマスコンサート
12月14日(土) リジョイス・クリスマス(武蔵野福音自由教会)力・メッセージ/静・コンサート 
12月21日(土) 聖学院中学校・高等学校 静・クリスマスコンサート
12月22日(日) グレースチャペル(基督聖協団市川教会)/クリスマスコンサート
12月24日(火) ホーリネス下山口キリスト教会/静・クリスマスコンサート with Migiwa
12月29日(日) 横浜・シャローム福音教会 礼拝 力・メッセージ/静・賛美
12月31日(火) 御園バプテスト教会/Go to New Year Live! 2014 静・出演(共演)

■各教会でご奉仕いたします!…ぜひご依頼、ご紹介ください

説教は、まずはお試しから、牧師先生の休暇、出張の際や、また特に無牧の教会、小さな伝道所などでもご活用いただければと思います。説教については、無償でもお受けするつもりでおります。もしご無理がなければ、活動の継続、維持のため、交通費程度のサポートをいただければ感謝です。初めての方でも楽しく、わかりやすく、聖書を味わっていただけるように心がけて参ります。
静の賛美・コンサートについては、準備や音響設備等で実費が発生してしまうため、無償での奉仕は難しいのですが、まずはご相談ください。説教&賛美での奉仕も、ぜひどうぞ!


◆6年ぶり、讃美歌&オリジナルアルバムの2枚同時発売にあたって ― 竹下 静


皆様にお祈りいただいていました新しいCDがとうとう完成し、11/2より発売開始となりました。実に6年ぶりとなる本作、2作品同時に制作というビジョンが与えられ、約半年かけて制作を進めて参りました。

■コンセプトは「イエスキリストにある希望」

今回のCD制作に際し掲げたコンセプトは「イエスキリストにある希望を伝える」、です。「夕暮れには涙が宿っても朝明けには喜びの叫びがある」( 詩篇30篇5節)という聖書箇所をイメージし、制作しました。

震災後、被災地を歌い巡る活動を続けて行く中で、本当にたくさんの傷ついた心を抱えた方々、そしてご自身も被災しながら現地でケアの働きをしていらっしゃる方々にも出会いました。そういった方々のお話や思いに触れて行くうちに、自分にできること、そして自分の使命とは、ということをとても深く考えさせられました。
震災が起きたとき、身の回りの「あたりまえ」が「恵み」であることを嫌というほど思い知らされたのですが、同時に、神様にある希望を知っているからこそ、逆境に遭遇したときにもそれを乗越える力をいただけるのではないかと思わされました。そのことを、心に傷を負って苦しんでいる方々に、音楽を通して伝えていきたい、そして神様の愛を受け取ってもらいたいと強く思うようになりました。震災から2年経って、ようやく私の使命、歌うことの目的が明確になり、今回のCD制作へと導かれました。願わくば、このCDが必要なところに届いて用いられることを祈っています。

■讃美歌CDの聴きどころ

特に聴いていただきたい曲は「深い川を越えて」です。復興、そして平和への道のりは遠く果てしないように思えるけど、向こう岸に必ず神様の下さる平安がある、そんなことをイメージして歌っています。そのほかの収録曲も、特にクリスチャンでない方々にも共感していただけるような歌詞の讃美歌を中心に選曲しています。ピアノと歌だけのアコースティックな讃美歌集です。

■オリジナルCDの聴きどころ

3曲目に収録した「Rely on Jesus」という曲が、オリジナルCDのメインの楽曲となっています。これまでの私の作品に比べ、ストレートに神様の愛を描いた曲です。私自身、神様に寄り頼んで生きることのすばらしさを日々実感しているのですが、たくさんの傷を抱えている人に、そのすばらしさを、愛を受け取って欲しいと思って作りました。一流のクリスチャンミュージシャンたちと一緒に作り上げた、音楽が好きな方にも十分楽しんで聴いていただける内容となっています。

■今後の活動予定

来年より長年役職者として務めてきた一般企業での働きを縮小し、音楽を通して福音を伝える働きに力を入れていくことになりました。来年はコンサート活動範囲を全国へ展開予定、また被災地での復興支援コンサートも、継続して行っていきたいと思っています。今後とも、ぜひ応援、お祈り、よろしくお願いいたします。


 

posted by holyhope at 11:24| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュースレター | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする