2009年06月17日

喜びの秘訣 ピリピ4:4〜13

おはようございます。

みなさん、元気ですか?元気があれば、なんでもできる…
というのは、アントニオ猪木の言葉なんですが、
聖書的な言葉で言えば、それは喜びになるのかもしれません。

有名な聖書の言葉の一つにですね。。。。

いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。

 …と言う言葉もありますよね。

静岡の実家では、お便所に掲げられている有名な御言葉なんですが、
でも、正直、いつも喜べることばかりではないし、
すべて感謝できるわけでもありません。

どうしたらいつも喜び、すべてのことに感謝できるというのか…、
これが自分自身にとっても一つの課題でもあったんですね。

たまたま静岡に帰ったときに、テレビの前に転がっていた本がありまして、
安保(あぼう)徹という新潟大学の医学部教授をしている方の本なんですが、
【病気を治す体の声の聞き方】この本を読んでいった時に、
実は、喜びや感謝という感情が、実は、体の状態によって左右されている
ということがわかったんです。

その中には「感謝の気持ちが病気を治す」ということも書かれています。

それから、お医者さんであったり、あと脳ですね。脳外科医や、脳科学者の人たちの本を読み漁っているんですけれども、表現の違いはあっても、結論的には同じ。

結論だけ言ってしまうと、
いつも喜び、感謝できる状態が、人間の体にとってもベストらしい。

「いつも喜んでいなさい。
 絶えず祈りなさい。
 すべての事について、感謝しなさい。

 これが、キリスト・イエスにあって
 神があなたがたに望んでおられることです。」

言い換えれば、これが神の願いであり、みこころ。
それは私たち人間のこの体全体が、

そもそも喜び、感謝しながら、生きていくように創られている…

といえるんではないでしょうか。

そこで、今日の取り上げているピリピ人への手紙なんですが、
「喜びの書簡」とも呼ばれるくらい、最初から最後まで、繰り返し、
「喜んでいます」「喜びなさい」喜ぶということが書かれています。

3章でも、

3:1 最後に、私の兄弟たち。主にあって喜びなさい。

と言いながら、

この4章でも 「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」と強く勧めています。

でも、このとき、パウロ自身は逮捕され、牢獄の中からこの手紙を書き送っているんですね。伝道者としては圧倒的に不利な状況です。どうして、そのような状況でも、喜べと言うのでしょうか。

順番はちょっと前後しちゃいますが、先に

10 私のことを心配してくれるあなた方の心が、今ついによみがえってきたことを、私は主にあって喜んでいます。…

ピリピの人たちも、パウロの投獄の話を聴いて、パウロのことを心配に想い、どうもパウロに差し入れを届けていたようなのですが、自分たちもまたこの先どうなるのか、不安と緊張の中にいたんです。
そのような状況の中にあって、積極的に、パウロは「喜ぶ」ことを薦めていくのです。

そもそも、私たちに何が幸せをもたらしてくれるのか…。

それはお金なのか、病気にならず、健康でいることでしょうか。何でしょう。
お金があっても幸せとは限らないし、逆に、貧しい中でも幸せを感じている人もいます。
病気にはならなくても、不安と絶望の中にいる人もいますし、病の中であっても幸せを感じて生きている人もいます。
イスラエルの荒野に行っても、そう思いますよね。
水も乏しい、気候も厳しい、日本のようにこんな便利にはできていないですよ。
でも、その環境の中でも、実際に生活している人がいて、そこにはそこでの幸せや、喜び、感謝もあるんですよね。

私たちは周りの状況で自分の幸せが左右するように感じていますが、実は、そうではない。
同じ環境の中にあっても、私たちの感じ方、すなわち脳の思考によって、喜びを感じ、幸せだと思えることもあるし、不満に思い、不幸せと感じる場合もあるわけです。

まず、1つ言えることは、パウロ自身は、喜びの基盤を回りの環境には置いていなかったことがわかります。

パウロは、こんなふうに言っていますよね。

4:12 私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。

つまり、パウロは自分が喜べるような環境が与えられるように求めたのではなく、自分が周りのいかなる環境に置かれたとしても対処していけるように、その秘訣を身に着けていったといえるでしょう。

…といっても、なかなか簡単なことではないですよ。

パウロはこれまでの人生、すざましいものがあります。

コリントの手紙には、こんな風に書かれています。

11:24 ユダヤ人から三十九のむちを受けたことが五度、
11:25 むちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度あり、一昼夜、海上を漂ったこともあります。
11:26 幾度も旅をし、川の難、盗賊の難、同国民から受ける難、異邦人から受ける難、都市の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、
11:27 労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいたこともありました。
11:28 このような外から来ることのほかに、日々私に押しかかるすべての教会への心づかいがあります。

いやいや、私だったら簡便と思うのですが、
でもパウロは、そういった中で、いかなる困難にも対処していく秘訣を身に着けて行ったんですよね。

そんなパウロですが、決してはじめから強かったわけではなく、むしろ、意外と否定的な考え、弱さを訴えているんですよね。
目が見えなくて、劣等感を抱いていみたり、「私は罪人のかしらだ」とか、ローマ書では「私は、なんとみじめな人間なんだろう」と意外と自己否定的な発言もしているんです。

でも、数々の困難や試練を通して、その秘訣を心得ていくようになったのだと思います。

私は、死ぬほどのムチも耐えてきた、船が難破して死にそうな目にあっても生かされてきた。
どんな状況でも対処する秘訣を心得ている。
だから、ピリピの人たち心配要らないよ。牢獄くらい、なんともない。
大丈夫。

私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです!

このニュアンス、わかります?

どんな状況の中でも、キリストはともにいてくれる、キリストが守ってくれている…その平安の中にパウロは身をおいていた。
だから、牢獄ぐらい大丈夫。
それは、一朝一夕に言えることではないかもしれません。
これまでの経験があってこそ、得られた確信なんですよね。

 それだけではなく、不安と緊張の中にいたピリピの人たちを勇気付けようとするパウロの愛情が篭っているわけです。

 もう一つ、パウロの喜びの秘訣は、自分が牢獄の中にいるにもかかわらず、ピリピの人たちの喜び、幸せを願っていたことでしょう。

 私たちは、自分自身の幸せを最優先にしてしまいます。
 まして、自分自身が望まない状況、つらい状況にあったとしたら、なおのこと。まず自分を守る。それが普通です。

 でも、パウロは、自分のことよりも、ピリピの人たちのことを想い、ピリピの人たちがキリストにあって喜ぶことを願うわけです。
 でも、それでピリピの人たちが喜びに包まれたとしたならば、それがパウロにとっての喜びとなるわけですよね。

そんなパウロが、ピリピの人たちに、すすめているのは、まず

4:5 あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。

私たちは、自分が幸せになろう、幸せになろう…とすると、逆に得られない不満ばかりが募って、かえって不幸感につつまれていってしまうのかもしれません。

逆に、寛容な心をすべての人に知らせる、周りの人たちの幸せを願う…そういう心を持ちえたとしたなら、実は、その瞬間に、自分自身も幸せな心になっているような気がします。

4:6 何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
4:7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

何も思い煩わないで・・・と、言われて、何も思い煩わずにすむんだったら、何も苦労はいらないですが、それでも思い煩ってしまうというのが、正直な私たちですよね。

それでも思い煩う自分が、あたかも信仰が薄いか、弱いかのように考えてしまえば、さらに思いわずらいも増えていってしまうような気がします。

ですが、実は、最初に言ったように、心、精神面だけではなく、体全体のこととして考えると、ちょっと見え方が変わってくるんです。

私たちの脳は、意識、無意識関係なく、ぐるぐる同じ物事を繰り返して考えているらしいんです。もし否定的な思考回路(神経伝達)が繰り返されてしまうと、そこの神経が太くなって、脱却しにくくなり、しかも思考力が低下していくらしいんです。

私自身、何か嫌なことがあると、嫌だ嫌だ…と思うじゃないですか。
で、嫌だ、嫌だと言うことによって、あわよくば周りを変えようとするんですよね。

でも、脳にとっては、この嫌だ、嫌だと思っている状態…、
これが嫌な状態らしいんです。

ところが、私たちは周りが嫌な思いを与えている…かのように勘違いするんです。

にもかかわらず、その嫌だ、嫌だと言う思いを続けていくと、脳はますます嫌な思いが嫌だ…って言うことになっていきまして、思考能力も鈍ってきて、余計に解決策、いいアイデアが浮かばなくなるという悪循環を引き起こしてしまうというわけです。

そこで、意識して、肯定的な思考をするようにしていくと、そちらの思考回路、神経の方が太くなっていき、脳の活性化にも繋がり、いいアイデアや、体の能力も引き出せます。

つまりね、

否定的に考えてしまうのは、気持ちや精神力、
キリスト教の業界用語で言えば、信仰が強いか弱いか…の問題ではない


ってことなんです。
脳の思考回路の問題、肯定的に考えるための神経回路ができているかどうかなんです。

ですから、思い煩うことはあってもいいし、実際あるでしょう。
でも、そこで、思い煩っている、否定的な思考回路が回っている自分に気がつくことが、まず大切なんですね。

そうしたら、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、

この「感謝」ということが、もうひとつのポイントです。

私たちの体には、自律神経というやつが働いていまして、それで体のホルモンだとか、いろいろな機能のバランスをとっているらしいんですが、それには活動モードで働く交感神経と、リラックスモードで働く副交感神経があるんですね。

 交感神経が働いている時には、血管が収縮し、血圧や血糖値も上がる…、体全体が、やる気モード、戦う姿勢に入っているわけです。でも、そこに思い煩いが加わると、不安と緊張、いわゆるストレスとなって、怒りの感情にもなってくると言うんですね。
 
 逆に、喜びや、感謝する…という感情は、副交感神経が働いている時に出てくる感情だと言うのです。

つまり、いくら頭で感謝しようと思っても、もし体全体が緊張モード、交感神経が働きっぱなしであったとすれば、感謝できないし、体も休まらない、それは心の問題ではなく、体のモードが切り替わっていないためでもありうるわけです。
 
では、副交感神経を働かせるには、どうしたらいいか。
 深呼吸をしたり、お風呂にでも入って体をよく温めてあげる。
ようはリラックスモードを体全体に作ってあげるわけですね。
これが「思い煩わないで」。
それからゆっくり、今まであった感謝できることを1つ1つ思い出してみてください。結構、これまでの人生の中でも感謝できること、守られてきたこと、あると思います。

詩篇の中にも、
 わがたましいよ、主をほめたたえよ。
 主が、よくしてくださったことを何一つ忘れるな…
と出てきますが、
あれも、自分の魂、心、脳に言い聞かせているわけですよ。
そうやって、あえて感謝していくことで、副交感神経の方が刺激されて、
思い煩いも解消されるという仕組みに、私たちの体全体が出来上がっているというわけです。
おまけに、血圧が下がり、血糖値も下がり、リンパも活発になり、免疫も上がる、病気にもなりにくい。脳の働きもよくなります。

そうすれば、心と思いだけではなく、体も、脳も一番ベスト、それではじめて、その時、その時に、今の自分にできる対処方法も冷静に考えて、実践していく事もできるわけです。

何か問題があっても、それに向かって1つ何か対処出来たごとに、意識して喜ぶ。成果より前に、実践できたことをまず喜ぶ。そして、問題を乗り越えられた暁には、もう1つ喜びの秘訣が得られる!とにかく、喜ぶことを目標にしていく。

 そう意識していくことで、問題や思い煩いがある中にも、喜びや感謝が生まれ、おまけに体にも、脳にもいい…!!!!
クリスチャンであるからこそ、元気があれば、何でもできる!ということにもなるのではないのでしょうか。

何も思い煩わないで、
あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、
あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。

そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、
あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。


posted by holyhope at 00:12| Comment(0) | TrackBack(0) | メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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