2010年01月11日

ダビデのなめらかな石 1サムエル17章

おはようございます。
2010年がはじまって10日が経ちましたけども、皆さんはどのようなスタートを切りましたでしょうか。

とにかく世間では、未曾有の不景気。
テレビでも、いろんな暗いニュースやら、政治批判やら、とかく否定的な言葉が多く聞こえてくるわけです。
鳩山さんもがんばってはいると思うんですけれどね。いろんな批判の矛先が、すべてリーダーに向けられていってしまう。
ですが、批判は誰にでも出来ますが、じゃあ、どうすればいいのか…その答えは、誰も持っていないんですよね。

「ことば」というのは、ある意味、恐ろしいところがありまして、駄目だ、駄目だと思っていると、本当に駄目になってくる。
イエス様も、「あなたの言ったとおりになる」といいましたけれども、否定的な言葉を繰り返し耳にしたり、口にしたりすればするほど、私たちの脳も体も、否定的な感情にとらわれて、元気を失ってきてしまうような気がします。

確かに、不景気は不景気。ですが、こんな時こそ、クリスチャンは元気でありたいと思うんですよね。
今年一年、それぞれに目標や課題があると思います。1年のはじまりに、この不景気にも、それぞれの課題にも立ち向かっていく勇気と力をいただきたいと思うわけです。

さて、今日の箇所は、少年ダビデと巨人ゴリアテの戦い、少年ダビデ君が、ペリシテの巨人ゴリアテを石投げで倒してしまう…、教会学校でも必ず登場してくる有名な話の1つだと思います。

時は紀元前1000年頃の話です。
ペリシテというのは、イスラエルの宿命のライバルといってもいい隣国でして、ちょうど今のイスラエルでいうガザ地区のあたり、地中海沿岸を領土にしていたようです。

今でいう「パレスチナ」という名称も、このペリシテに由来しているんですが、この聖書に出てくるペリシテ人は、ダビデ王朝の時代に、すでに滅亡してしまっているんです。

では、どこから出てきたかというと、今の「パレスチナ」というのは、ローマ帝国によってつけられた名前なんですね。
エルサレムを陥落させた後にも残っていた、反ローマ的なユダヤ勢力を抑えるために、このイスラエルのライバルであったペリシテから名前を取って、ユダヤ州からシリア・パレスチナ州と名前を変更したんです。それが、現在のパレスチナです。
皮肉にも、この両者は、今も対立してしまっているわけです。

さて、話を戻しますと、そのライバル・ペリシテとの戦い
ゴリアテという大男がペリシテの代表として、一騎打ちを挑んできたわけです。

17:4 ときに、ペリシテ人の陣営から、ひとりの代表戦士が出て来た。その名はゴリヤテ、ガテの生まれで、その背の高さは六キュビト半。

この数字を、そのままに信用しますと、身長は、なんと286cmにもなります。
でかっ!みたいな。
さらに、57kgのよろいかぶとを身に付け、7kgの槍を振り回していたわけです。
とにかく、とてつもないつわものであったことには間違いないでしょう。

イスラエルの兵士たちは、みな、びびってしまうわけですよね。
あんなのには、勝てねえよ〜。
ある意味、当然かもしれません。まさしく命がけの戦なのですから。

17:24 イスラエルの人はみな、この男を見たとき、その前を逃げて、非常に恐れた。
 17:25 イスラエルの人たちは言った。「あの上って来た男を見たか。イスラエルをなぶるために上って来たのだ。あれを殺す者がいれば、王はその者を大いに富ませ、その者に自分の娘を与え、その父の家にイスラエルでは何も義務を負わせないそうだ。」

サウル王も、娘を妻にくれてやるだとか、税金を免除するだとか言うわけですが、そういう問題ではないわけですよね。イスラエルの兵士たちだけではなく、実は、サウル王自身も、戦うことができないでいたわけです。
ゴリアテは、朝と晩に現れては言いたい放題、言って帰るわけですね。そんなことを実に40日間も繰り返していたというのですから、ある意味、驚きです。

そこに現れたのが、少年ダビデ君。
…というふうに、小さい頃見た絵本には描かれていたような気がしますが、兄の陣中見舞いに戦場へ使わされてくるくらいですから、実は、もうそこそこの青年だったかもしれません。

なんなんだ。これは。。。
17:26 …「…この割礼を受けていないペリシテ人は何者ですか。生ける神の陣をなぶるとは。」

ダビデは、一人奮い立つわけです。

はじめから自分が戦おうとか、自分だったら勝てるという話ではないように見えます。
ところが、兄は、ダビデを見つけて、なぜか怒りを表すのです。

17:28 兄のエリアブは、ダビデが人々と話しているのを聞いた。エリアブはダビデに怒りを燃やして、言った。「いったいおまえはなぜやって来たのか。荒野にいるあのわずかな羊を、だれに預けて来たのか。私には、おまえのうぬぼれと悪い心がわかっている。戦いを見にやって来たのだろう。」

もちろん、濡れ衣です。
17:29 ダビデは言った。「私が今、何をしたというのですか。一言も話してはいけないのですか。」

まさに、そのとおりなんですよね。
ダビデは、父親のエッサイに頼まれて、その兄のところに陣中見舞いにきたのです。
戦いを見に来たと言われても、イスラエルは戦うどころか、恐れて逃げていただけなんです。兄エリアブも、その一人だったのでしょう。

ダビデは、末っ子で、羊飼いでしたから、そのダビデが人々と話すのを見て、小生意気に思えたんでしょうね。

なんだか、この記事を見ていくと、今の日本も、ある意味そうなのかもしれないな…って思うんですよ。
この不況というゴリアテを目の前にして、世の中、不景気だ、不景気だ…と言いながら、政治にしても、何にしても、ちょっとでも相手の弱いところを見つけると、批判ばかりが繰り返されていく。
巨人のゴリアテがやってくると、わーっと逃げて、小さいダビデにはコノヤロみたいな。

私たちにも、そんなことが、どこかありそうな気がします。
17:32 ダビデはサウルに言った。「あの男のために、だれも気を落としてはなりません。このしもべが行って、あのペリシテ人と戦いましょう。」

私たちの人生の中でも、時に、様々な問題や壁、巨大なゴリアテにぶち当たることがあるように思います。
クリスチャンになったら、全てが平安だとは限らない。だったら、いいんですけどね。もちろん問題や困難がないことに越したことはないわけですが、問題がないことが、必ずしも神に守られていると言うことでもないようです。
逆に、この世の人生には、目の前を立ちふさがるような大きな問題や困難が起きてくる。

その時に、私たちが、まず失ってはならないのは、巨人ゴリアテに立ち向かう勇気なのかもしれません。
ダビデは、なぜ勇気を失わなかったのでしょう。

一言で言ってしまえば、神に対する信仰…となるのでしょうが、
信仰だったら、サウルもイスラエルの兵士たちもあったといえば、あったんですよね。私たちにもある。
でも、正直なところ、目の前にゴリアテが現れた時に、時には弱気になったり、くじけそうにもなったりするのも、私たちですよね。

では、その違いは何でしょう。そこを見ていきたいと思います。

この時の話と言うのは、ダビデ君は、神様を信ずれば、特別な神の力が働いて、ゴリアテにも負けない、スーパーマンか何かになれる…というわけではないんですよね。
ダビデは、これまでの羊飼いをしていく中で、熊や獅子と戦ってきた実力や実績と、神が守ってくださったという経験に立っているわけです。

しかし、人は、いろいろなことを言ってくるわけです。
17:33 サウルはダビデに言った。「あなたは、あのペリシテ人のところへ行って、あれと戦うことはできない。あなたはまだ若いし、あれは若い時から戦士だったのだから。」

サウルも、決して弱い戦士ではなかったんです。
でも、ゴリアテはでかい、強い、ゴリアテには勝てない、相手はベテランの猛者、ダビデには無理だ…、40日間の間に、すっかり否定的な言葉に包まれているんですよね。

17:37 ついで、ダビデは言った。「獅子や、熊の爪から私を救い出してくださった主は、あのペリシテ人の手からも私を救い出してくださいます。」

ダビデが、これまでの羊飼いをしていた中では、決して、恐れや失敗がなかったわけではなかったと思います。
はじめは、父親や兄たちからも熊や獅子から守り、戦う術をみて学んできたことでしょう。
時には、ダビデの力及ばず、危ない目に遭ったり、怖い思いもしたのかもしれません。
でも、その都度、ダビデは神に守られてきたという経験もしているんですよね。

私たちの人生の中でも、これまで数々のピンチがあったと思います。
それは、私よりも、人生長く生きてきた人ほど、ピンチの経験をしてきているのではないかと思うのです。でも、今こうしてある…。
今、こうしてあるのは、ピンチがなかったわけではなく、ピンチを乗り越え、守られてきたんですよね。
ダビデは、これまでの日常至る所で、神の守りと言うものを意識してきたわけです。

さあ、そのダビデが、いざゴリアテと戦おうとした時に、王のサウルは、自分の鎧兜や剣をダビデに貸して、身につけさせます。
なぜならば、ダビデが戦士の格好ではなく、ただの羊飼いの格好だったからです。

17:39 ダビデは、そのよろいの上に、サウルの剣を帯び、思い切って歩いてみた。
思い切って歩いてみたというわけですが、思い切らないと歩くことも出来なかったみたいですね。そんな鎧兜なんか着たことのないダビデは、よろけてしまい、まともに動くことすらできないわけですよ。慣れていないから。
それで、こんなんで戦えるか〜と言って、鎧兜を脱ぎ捨て、普段どおりの羊飼いの姿で、自分の最も得意とする石投げで、ゴリアテに一人立ち向かおうというわけです。

さて、川原には、いろんな石が多く転がっているわけです。
皆さんがダビデだったら、巨人ゴリアテと面した時に、どんな石を選ぶでしょう。。。

ついつい大きなゴリアテだから、大きな石を選んでしまいそうな気もしますよね。
これだったら、ゴリアテを倒せるだろうと思って、大きな石を選んでも、足元にも届かなかったりして。
砲丸投げの室伏だったら、砲丸みたいな石を選ぶのかもしれません。
でも、ダビデは、ゴリアテが大きいからといって、特別に大きな石を選んだわけではありません。だからいって、とにかく手当たりしだい、数打ちゃ当たるで、ひたすら多くの石を集めたわけでもありません。
「なめらかな石」を5つだけ、選ぶんですよね。それが、ダビデにとって、自分のベストを出せる石だったわけですよ。

それは、ある人にとっては、それは戦う姿ではなく、ある人にとっては、無謀な姿にも見えたかもしれない。

でも、ダビデにとっては、その羊飼いの格好が一番のベストのスタイルで、巨人のゴリアテと戦うには、石投げこそがダビデにとってベストの戦い方だったわけですよね。
そして、一番自分にとって、ベストな石を用意して、ゴリアテに挑んでいったわけです。

17:43 ペリシテ人はダビデに言った。「おれは犬なのか。杖を持って向かって来るが。」
ペリシテ人は自分の神々によってダビデをのろった。

当時、羊飼いと言えば、子どもできる仕事、実に身分の低い仕事でもあったわけです。
でも、ダビデは、その羊飼いである、そのままの自分を神が愛し、熊や獅子から守ってくれていたことを知っていたからこそ、その神の存在がゆえに、羊飼いの姿、やり方で、ゴリアテにも立ち向かっていくことができたわけです。

17:45 ダビデはペリシテ人に言った。「おまえは、剣と、槍と、投げ槍を持って、私に向かって来るが、私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。

私たちは、どうでしょう。
巨大な問題にぶつかった時、事の大きさゆえに、右往左往してしまうことはあると思います。
思わず、慣れない鎧兜を身につけて、身動きが取れなくなってしまったり、
投げられないような大きな石や、とにかく数多くの石を集めて対処しようとするのかもしれません。

でも、実は、神様は、これまでも、このまんまの私を愛し、ピンチの場面でも、すでに必要な力は与えているのではないだろうか…。

神様を信じるということは、私を愛してくれている神を信じること。
それは、神が愛された私を信じること…なのかもしれないですよね。
人は否定するかもしれない、笑うことかもしれない、本当に小さいかもしれない、
でも、御子イエス・キリストが十字架にかかってまでも惜しくないほどに愛してくれているわけです。
その私に、今すでに神が与えてくれている力もあるわけです。その自分の力を信じるということなのではないでしょうか。

もちろん、100%完璧な人もいません。ダビデもそうです。得意不得意、長所短所、人それぞれでしょう。
でも、無理して慣れない鎧兜を身につけるよりは、普段どおりの自分らしいスタイルで、自分のもっとも得意とする方法で勝負したほうが、力も発揮できるというわけですよ。

いやいや、私は何のとりえもなくて…ということは、絶対にないはずなんです。
今まで誰かに否定されてきたかもしれない、人と比べては、比較相対、無いものねだりで、自分自身で否定してしまったのかもしれない。
実は、私自身、自分で自分を否定していることが多くあるように思うんですよね。
でも、神は、この私を愛してくれていて、今、こうしてある。
必ず、私なりの方法、私にとってのベストな「なめらかな石」があるはずなんです。

17:49 ダビデは袋の中に手を差し入れ、石を一つ取り、石投げでそれを放ち、ペリシテ人の額を打った。石は額に食い込み、彼はうつぶせに倒れた。
こうしてダビデの一番ベストの石が、強敵ゴリアテを打つわけです。

今は、もちろん戦をするわけではありません。
でも、クリスチャンであってもなくても、世で生きていく上では、困難があります。
まして、この未曾有の不景気の中で、みなが否定的、暗く沈みがちな昨今です。
クリスチャンだからこそ、お金は無くても、喜びがある、感謝がある、希望がある、前向きにチャレンジできる愛の戦士でありたいものですよね。

時々、戦士とはこうあるべき、クリスチャンはこうあるべき…みたいな。
狭い既成概念に捕らわれて、慣れない、よろいかぶとを着せられて、身動き取れなくなっているクリスチャンも、いたりするような気がします。
ガチャ、ガチャ、ガチャ。どう立派でしょ。でも、動けてないから…みたいな?

慣れない鎧かぶとなら、脱いでよし!
その代わり、神様が自分に与えてくれているもの、自分にとっての「なめらかな石」とは何なのか、ぜひ探して、選び取っていきたいものです。


…ダビデはペリシテ人に言った。
「おまえは、剣と、槍と、投げ槍を持って、私に向かって来るが、
 私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。」



posted by holyhope at 00:44| Comment(0) | TrackBack(0) | メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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