2010年08月01日

自分の言ったとおりになる!? マルコ11:20〜25

みなさん、おはようございます。
ほんと暑い日が続いていますが、みなさん、お元気でお過ごしでしょうか。


ちょうど先日、環境問題の講演を聞いてきたんですが、地球の平均気温は、100年前より、
0.74度上がっているらしいんです。
たった0.74℃なの?って思うじゃないですか。

でも、地球全体の平均ですからね。東京では約2℃、平均ですよ、上がっているらしい。
当然、涼しい日もあれば、暑い日もあるわけですよね。都会のアスファルトや、
ビルディングに囲まれていれば、実際には、もっともっと上がる日もあるわけですよね。


今日は、そんな環境問題から話を始めたいと思うんですが、これ、ものすごい大切な
話なんですよ。それを実感込めて、考えるには、この暑い夏が一番だと思うんですよね。

今、地球の温暖化ですとか、異常気象とも言われますが、そもそも異常なのは、私たち
人間の活動だと思います。
私たちが、石油でも、ガスでも、ゴミでも、ガンガンに燃やして、CO2、二酸化炭素を
バンバン作り出すものだから、地球の方は、自然と気温が上がっただけ。
気温が上がったから、自然と、気候も変わっているだけ。
異常なのは、私たちの人間の活動、そう思いません?


それも地球の人口の10%か、せいぜい20%の人間、先進国の人間たちが出す
二酸化炭素が、地球全体の8割、9割を占めていて、異常に多いんです。
今の猛暑も、集中豪雨も、赤潮も、私たちが、間違いなく、その原因を作り続けて
いるんですね。


今回、私もはじめて知ったんですけどね。
石油や天然ガス、電気、それらを使って製造される製品…、今の私たちが排出する
CO2は、そもそも自然界で処理しきれるような量ではなく、蓄積されてしまうんだそ
うです。そのくらい膨大なんですね。
だから、今から排出する量を10%、20%減らしても、すでに大量発生したCO2は
なくならない。それどころか、単純に90%分は増え、温暖化も進むんです。


今、エコバックとか、エコカーとか、あるじゃないですか。実は、そういうレベルじゃ
全然ないんです。エコカーなんて、確かにガソリンを使う量は減りますよ。
でも、その分電気を使い、大きなバッテリーも使い、CO2は1.5倍増えるんです。

このまま行けば、10年後には、さらに0.6℃以上のペースで、平均気温が上がって
いく、東京ではさらに2℃あがってしまうという計算になるんです。


本当は、レジ袋どころか、もう自動車には乗らない、エアコンも使わない…、
CO2の排出量8割、9割、そのくらいレベルで減らしていく必要があるんです。本当は。
それでも100年後には地球の平均気温は約2℃まで、あがってしまうらしいですよ。


みなさん、どーしますか?
先生、そんなことを言ったって、エアコンなしなんて、無理ですよ…。
確かに、そうだとなんです。最近の建物自体が空調で気温調整する設計になって
しまっているわけですから、これで、エアコン切ったら、熱中症で、バタバタ倒れて
しまいますから。
ちなみに日本の実績はというと、10%削減どころか、エコバック、エコカー、エコ商品の
おかげで、エコ気分にはなれたとしても、見事日本のCO2排出量は、7%増えている…
これが現実です。

まずは、エコ気分になってしまうのではなく、「今の私たちはエコじゃない」、その現実
から、知っておいてもらいたいと思うのです。


さて、今日のタイトルは、「自分の言ったとおりになる!?」と「!?」マーク付でお届け
しようとしているんですが、教会ではよく「神様の御言葉がなる」とか、「必ず、みこころが
なる」、「だから、神を信じなさい」…そんな風にはよく聞くところじゃないかなと思うんです。


でも、その聖書にはですね。「自分の言ったとおりになる」…そうも書いてあるんですよね。
御言葉どおりになるなら、そうなりますよ。
でも、なんか、すごく、不思議じゃありません?
こんな私たち、人間の「自分の言ったとおりになる」、なってしまうとしたら、
ある意味、いいようで、でも、何か、とんでもないことになるような気もしますよね?


神様は、言葉で、この自然界全てを創られた。クリスチャンなら、そう信じています。
一方、今のこの暑さや異常気象は、そもそも神様が創った自然の状態から離れて、
ある意味、私たち人間が創り上げてきた環境なんですよね。


すると、普段、私たちが何を話しているのか、「自分の言ったとおりになる」…
これは、私たちが人生を生きていくうえでも、大切なことを示していると思うんですよね。


今日は、そんなことも考えながら、この箇所を読んで見たいと思います。


さて、取り上げた箇所は、イチジクの木が枯れている場面からなんですけれども、
少々、いわくつきの箇所でもあります。

これには前振りがあります。


12 翌日、彼らがベタニヤを出たとき、イエスは空腹を覚えられた。
13 葉の茂ったいちじくの木が遠くに見えたので、それに何かありはしないかと
  見に行かれたが、そこに来ると、葉のほかは何もないのに気づかれた。
  いちじくのなる季節ではなかったからである。
14 イエスは、その木に向かって言われた。「今後、いつまでも、だれもおまえの
 実を食べることのないように。」弟子たちはこれを聞いていた。


ものすごく簡単に言ってしまえば、イエス様が、お腹がすいたときに、
たまたまイチジクの木に実がついておらず、呪われて、枯れてしまったというわけです。
しかも、いちじくは実のなる季節ではなかったというわけですよ。


理不尽といえば理不尽、イチジクの木がかわいそうゆうか、私たちが普段考えている
イエス様とは、ずいぶん違う、違和感のある記事ではないかと思います。

その理不尽さ、違和感のゆえに、イエス様の真意が見えにくくなる箇所かもしれません。
なんで、イエス様は、こんなことをしたんでしょう。
数々の注解書でも、いろんなことが言われていて、物議をかもしている箇所です。


ある人は、このイチジクの木はイスラエルの象徴で、救い主が来たにもかかわらず、
それに対して実を結ばない律法主義者たち、イスラエルの人々に対する神の裁きと
忠告を現している…と考える人もいます。


また、ある注解者は「わからない」とするのが正解ではないかとも言っています。
確かに、それも賢明なのかな…とも思うわけですが、それらの解釈を見ていくと、
2つの点を見落としているような気がするんですよね。


1つは、これからイエス様は、まさに十字架を背負われようとしている、その直前の
出来事なんですよね。


私たちだったら、どうでしょう。平然と、いつもの通り、冷静でいられますか。
とてもとても、その前に、とっくに逃げ出しているのかもしれないですよね。


もし、イエス様が、十字架に対して、微塵の恐怖もいただかず、ただ平然と釘付け
られたのなら、関係ないのかもしれません。でも、決して、そうではないんですよね。

痛みや、苦しみも、自ら、ちゃんと知りつつ、その恐怖と戦い、十字架へと向かっている
わけでしょ。その極みが、ゲッセマネの祈りです。
単に優しいだけではない、あらゆる恐怖と戦う愛。まさに命がけの愛なんですよね。
この時のイエス様は、一種の戦闘モード、極度の緊張状態にあるわけですよね。

その状況下で、イエス様に、普段どおりの冷静さや、優しさだけを求めるのなら、もしか
したら、あまりにも勝手なイエス様の理想像を創り上げてしまっているのかもしれないです。

でも、イエス様は、私たちのこの肉体を持ち、リアルに、現実としての十字架に立ち向かった
んですよね。


そう考えれば、空腹を覚えたときに、実を結んでいなかったイチジク。
このイチジクにしてみれば、不運といえば不運だったかもしれないですが、
イエス様の言葉が、普段より、きつくなっても、何も不思議ではないですよね。
まして神の言葉ですから、イチジクにとっては、かなり、きつかったかもしれないですね。


実際に、ある農家の人が言うには、私たち人間の言葉であっても、
優しい言葉を投げかけた木と、そうでない木は、実の着け方、成長度合いが違う。
極端な話、否定的な言葉を投げかけ続ければ、枯れてもしまうらしいんです。
植物でさえ、その言葉の持つ意味、気持ちは感じ取っているんですね。


もう一つ、私たちが考えておく必要があるのは、イチジクにたとえられるのは、
イスラエルだけか?ということです。

とんでもない話でございまして、私たちもまた、いや私たちこそ、本来、実を結ば
ないイチジク、滅ぶべき罪人…だったはずなんですよね。


とにもかくにも、イチジクが枯れていたのをぺテロが見つけて、こう言うわけです。


20 朝早く、通りがかりに見ると、いちじくの木が根まで枯れていた。
21 ペテロは思い出して、イエスに言った。「先生。ご覧なさい。あなたののろわれた
 いちじくの木が枯れました。」


イエス様が、本当に、イチジクを呪ったのか…、もしかしたら、その理解は、ペテロの
理解だったのかもしれません。
イエス様自身は、「今後、いつまでも、だれもおまえの実を食べることのないように。」と
言っただけなんです。もしかしたら、空腹と十字架の重圧が重なって、ついイラっと来た
のかもしれない。その本当のところは、わかりません。

でも、自分の言った言葉が、イチジクを枯らしたのも、事実。
それを見たイエス様は、何を、どう感じたんでしょうね…。何かを感じたはずなんですよ。

ペテロの指摘に対して、あたかも話題をそらすかのように語られたのが、今日の本題となるわけです。


22 イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。
23 まことに、あなたがたに告げます。
  だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、
  ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。


…といわれて、皆さん、どう思うでしょうか。
そんな、山に動いて、海に入れ〜って言っても動かんでしょ…って思うんですよね。
その通りになるんだったら、苦労はしないよ〜なんて思うかもしれません。


そうなんですよね。。。だから、山は動かない。ある意味、その通りになっているんです。


山…というのは、ユダヤの世界では、大きな問題の象徴として、よく使われるんですが、
でもね、これが本気で、本当に山を動かさなくてはならない…って状況に追い込まれて
いたら、どうします?
この山を動かさないと、自然災害か何かに巻き込まれて、本当に多くの人が犠牲になる…
みたいなね。だとしたら、私たちは、あらゆる知恵を絞って、どうにか山を動かそうとする、
動かしていくに違いないんです。


実は、皆さん自身も、自分の言ったとおりになる…ってことは、見聞き、体験もしている
はずなんです。


子供がですね。テーブルに飲みかけのジュースを置いたまま、遊び始めたとします。
すると、お母さんが「そんなところにジュース残したまま、遊んでたら、こぼすわよ〜」
なんて言うじゃないですか。


でも、子供は遊びに夢中で、それどころじゃない。そうこうしているうちに、本当に、
こぼしてしまうんですよね。その時、お母さんは、なんて言うでしょう。

「ほら、だから、お母さんが言ったじゃない!」みたいな?


子供のほうも、お母さんの「ジュース残したまま、遊んでたら、こぼす」という言葉が
働いて、ジュースをこぼしてはいけない…と思いながらも、無意識の領域で、ジュースを
こぼしてしまうことをイメージしてしまい、本当にこぼしてしまう…らしいんですよ。


これは、よくも、悪くもですが、最近の脳科学でも、私たちの脳には、自分の言ったこと、
聞いたことも含めて、私たちの頭の中にある言葉の通りに、物事を実現しようとする
性質があることがわかってきたようです。


よく私の父親も「得たりと信じて感謝します」なんて、祈っていたものですが、祈って
いく言葉の中で、祈りが聞かれるというのと同時に、私たちが発する言葉も変えられ
ていく、それを実現させるように脳が動いていく…ということはあると思います。

しかし、一方、私たちが、心の中で疑わずに言っていること…って何なのかな…って
考えてみるとですね、それは意識して、考えて、ある意味、計算して言っているような
言葉よりも、どちらかといえば、普段、無意識的に、ふと口に出しているような言葉、
あるいは本音で、あまり考えずに言っているような言葉なんですよね。


よくも、悪くも、「自分の言ったとおりになる」。実際、多くの場合、なっているんです。

ついつい、私たちは、何か悪いことがあると、人のせい、周りのせい、時には神様の
せいにもしてしまうんですが、ですが、実は、喜び感謝するのも自分、不平不満に
思うのも自分、自分のうちにある言葉の影響も、かなり大きいわけですよ。


…だとすると、自分の言っている言葉、自分のうちにある言葉…って、すんごく、
かなり大切ですよね。私たちのうちには、どんな言葉があるんでしょう…。
それも本音ですよ、本音に、どんな祈り、どんな言葉があるか、ここが重要なんです。


もし、人を愛する言葉があったら、どうでしょう。
周りの人との関係もよくなり、相手も好感を持ちやすくなりますよね。
すごいよ、大丈夫、平気だよ…みたいな、ほめたり、励ましたり、何かと肯定する
言葉があれば、周りはもちろん、実は、自分自身をも肯定していくんです。

逆に、自分の中に、無理、駄目、嫌だ…とか、何かと批判や否定する言葉があれば、
周りだけではなく、実は、自分自身のことをも否定してしまうんです。

自分が言っている言葉を誰が一番聞いているでしょう…。実は、自分自身なんですよね。


確かに、私たち人間には、いろんな限界はあります。
自分でも誰でも、私たちの人間的な器だけを見ていれば、決して前向き、肯定的ばかりには
考えられないかもしれない。

でも、それだけじゃない。「神を信じなさい。」神を信じる。


その神は、どういう神様なんでしょう…。実らないイチジクを滅ぼす神なのか。


25 また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。
  そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。」


赦してやりなさい。天の父も、あなたがたの罪を赦してくださる神なのだから…。


あの枯れてしまったイチジクの木…
イエス様が、もし本当に実を結ばないイスラエルは、呪われてしまえ…と考えていたなら、
本当にイスラエルは、完全に滅んだままでしょう。

イエス様が、実を結ばないような人間は、滅んでしまえ…、そう考えたんでしょうか。
もしも、私たちが、そう考えるなら、その考え、言葉が、周りも、そして自分自身のことをも
滅ぼしてしまうのかもしれないです。


でも、イエス・キリストは、あのイチジクのように、イスラエルであっても、私たちであっても、
枯れてしまうことを、決して望まなかった。
きっと実を結んでくれる…そう信じて、十字架をも背負ったわけですよね。


また少し環境問題、入っちゃいますが、今、この自然破壊が進んで、1日におよそ100種
くらいの生物が絶滅しているらしいですよ。それこそ、本当に根こそぎ絶滅ですよ。

動植物だけではなく、もう今すでに、貧しい国の人たちほど、日本でも、人間の生命に影響を
及ぼしはじめています。それは神様ではなく、私たち人間が今していることなんです。


エコカー、エコバック…、それでは、エコにはなりません。
では、エアコンやめられますか?…やめられません。それが今の正直な本音ですよね。
私も、決して偉そうなことはいえないんです。かつては、電気付け魔ですから。

でも、クーラーの設定温度を、1度上げる、2度あげる…まずは、そこから。
私たちがエアコンをつける、設定温度を1度下げる、それは、地球の温度を上げること。
今は、家でも、会社でも、28℃。それを次は29℃にする、それが、今の私にできる一つ。
そして、それを語ること。

この今、この地球で起きている環境への意識、その言葉を、一人でも多くの人に持って
もらうことが、エアコンなしでいい建物作り、車を使わない街づくり、今この社会全体の仕組、
意識を変えていくことになるんではないか・・・そう思うんですよね。

環境問題だけではありません。
年間自殺者3万人の問題、その他の社会問題、また皆さん一人一人、家庭で、職場で
様々な問題、「山」にぶつかり、そこで悩み、苦しんだりもしているかもしれません。


しかし、神は、決して一人として滅びることは望まず。
それは、私自身も、皆さんも、イスラエルも、全地球上のすべての人たち…全てなのです。


「まことに、あなたがたに告げます。
 だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、
 ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。」



posted by holyhope at 19:54| Comment(0) | TrackBack(0) | メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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