2010年08月25日

本当の奇跡 マルコ5:21~34

2010年8月22日 茅ヶ崎シオン・キリスト教会

 みなさん、おはようございます。竹下 力です。


 私は、普段、月曜から金曜までは、仲間と一緒に旅行業を営んでおりまして、
その名も「にこまるツアー」。

 おかしな名前でしょ? 

 まあ、人生の中でいろいろな事が起きてくる…。その中でも、旅行を通じて、
希望とか、喜びとか、いろんな「笑顔」を描きたい…、それが「にこまるツアー」なんです。
普段は、韓国旅行を専門として、たまに、イスラエルの聖地旅行なんかも手配しながら、
こうしてメッセージのご奉仕もさせていただいております。


 さて、イエス様もいろいろなところを旅しながら、各地を周っていたわけですが、
この時には評判が広がり、もう人気絶好調、あそこに、イエスがいるぞ!とわかると、
たちまち多くの人たちが集まってきました。

テレビもラジオもない時代ですからね。
何か珍しいものでも見れるんじゃないだろうか…。何か、ご利益があるかもしれん。
いわゆる野次馬たちも、大勢、集まってくるんです。
  
この長血をわずらっていた女性もその群衆の中にいた一人です。
病気なのに、意気のいい群衆を掻き分けていくわけですから、それはもう大変だった思います。

「お着物にさわることでもできれば…。」なんて、言ってたら、触るどころか、跳ね飛ばされちゃうんですね。


「着物に触って、きっと直るんじゃ…!」とにかく必死だったと思うんです。
あたかも、ヨン様を追いかけ、あわよくば握手してもらおうと押し寄せる、おば様方のように、
やっとの思いで、つかんでみたら、ペテロだったりしてね。

あんた、もう、邪魔!…なんか言いながら、とにかく、イエス様の着物に触ったんだと思うんです。
その瞬間、直った!!!


すると、すぐに、血の源がかれて、ひどい痛みが直ったことを、からだに感じた。


私たちは、このような話を見聞きするときに、いやー、そんなこと、あるんかな…とか、
いやいや、そう信じることこそ信仰だ…とか、彼女の病気が癒された「奇跡」そのものや、
その「奇跡」を呼び起こした彼女の信仰とかに注目していくことが多いような気がします。

でもね、こうした病気が治ることは、実際、ままあるんです。

私たちは、普段、西洋医学的な考え方にどっぷり浸かっていますから、こうして病気が
治ってしまうのは、まさに120%「奇跡」のように思えるかもしれません。

でも、東洋医学の世界ではどうか。
「きっと直る」と、その気になることが、治療の核だというんです。
体をほぐしたり、体調やバランスを整えながら、「きっと直る」、その気を起こさせていく…
これが東洋医学的な発想なんです。人間の体というのは、実によく創られていまして、
その気になることで、本当に免疫力や自然治癒力も上がるらしいんですよ。

でも、慢性的な病気、重たい病気ほど、人間なかなかその気にならない、それこそ
「病の気」、そこが難しいというわけです。
でも、イエス様には、彼女をその気にさせるものが存分に溢れていたわけですよね。
だから、東洋医学的に言えば、奇跡というよりも、イエス様がスーパードクター、
優れた医者だということになるのかもしれません。
人間的な限界を超えても、さらに、その気になる…そこに、神を信ずる者の力もある
ように思います。


もうだいぶ前ですが、私の叔父も、癌の手術をしたんです。
でも、取りきれなくて、全身転移、医者からは余命3ヶ月の宣告を受けたんですね。
それを聞いた私の父が、だったら最期は自宅で…と、退院させたんです。

ところが、本人は、その告知を聞いていなかったんです。
というのも、手術をした後、感染症を引き起こしまして、耳が聞こえなくなっていたんですね。
一時は、顔がパンパンにはれ上がり、呼吸も3回止まるほど、
その度ごと、うちの父親や牧師が駆けつけては、これまた大きな声で祈るわけですよ。
半分、逝きかけていたのを、無理やり引き戻されて、今度は退院でしょ。

それまでは、神様も何も、一切、信じようとしなかった人だったんですが、
神様が救ってくれた!
そう信じきっちゃったんです。そしたら、どうでしょ。。。

全身に転移していたはずの癌が、本当に、きれいになくなっちゃったんです。


なんだか、半分、ずるいような話なんですけどね。
なんせ、本人、ガンが転移していることなんか聞こえてないんですもん。
でも、考えてみれば、人から余計なことを聞かされないために、神様が耳をふさいだ
のかもしれないですね。


とにもかくにも、こうした病気が治ることは、実際にあるんです。
しかし、本当の奇跡は、実は、この後に起きていったんです。


30 イエスはすぐ、自分の内から力が出て行ったことに気づかれて、群衆の中で
 振り向き、「わたしの着物にさわったのはだれか」と言われた。


「だれか」…と言われても、もう、その他大勢の群集たちが、押し寄せているわけですよ。

弟子たちにしてみれば、
「先生、変なこと、言わんといてください。みな触っています。私だって触っていますよ。」
そんな感じだったと思うんです。
ヤイロも、「先生、お願いですから、急いで、娘のところに来てください。」
もう、必死で、先を急いでいたと思います。


ところが、それでも、イエス様は、動こうとしない、

32 イエスは、それをした人を知ろうとして、見回しておられた。


なぜイエス様は、この状況の中、この一人の女性のことに、こだわったのでしょう…。
そこに、何か隠された訳もあるような気がするじゃないですか。


そこで今日は、この女性が病気を患っていた12年間という時。
この12年間の時…というものを考えてみたいと思うのですが、皆さん、12年前は、何をしていましたか。


私は今37…、12年前といえば、25歳です。
私、もとはカメラマンをしていたんですが、仕事を辞めて、神学校に入ったのが12年前。
生活のために、昼間、アルバイトをしながらたったんですが、
ところが、このバイトというのが、なかなかハードというか、社員並みに働かせてもらいまして、
「いのちのことば社」って言うんですけど。。。(笑)

普通、「神学校」って、「神」の「学校」って書くじゃないですか。
私の場合は、違うんです。
寝る学校と書いて、「しんがっこう」と読むみたいな?
そしたら、学校から、ぜひ、もう1年いてくださいと、卒業させてもらえなかったんですよね。

ま、それでバイトを辞めまして、とにかく卒業し、その後、働きながらの伝道を目指して、
1社、2社と渡り歩いて、今、「にこまるツアー」で、ちょうど3年が立とうとしているところです。
12年の間には、いいことも、悪いことも、いろいろなことがあるものですよね。


でも、この長血の女性、彼女の場合には、そういった12年という時、ずーっと
病気のために苦しんでいたんです。
それは、それは、長い長い12年間だったはずです。


「長血」という病気が、今でいうなんという病気かは断定できないんですが、
出血を伴う婦人科の病気だと思われます。
そうすると、ユダヤの社会では、汚れたものとして、忌み嫌われてしまうんですね。
理不尽な話ですが、彼女に触れば、汚れる…、社会的に阻害されてしまうんです。
その病気のために、仕事も結婚もできなかったかもしれません。
そんな彼女が、人ごみ、群衆の中にいることなんて、もっと赦されない、非常識なことだったんです。

だから、群衆の中に「紛れ込み」、うしろから、ばれない様に触っていたんですよ。

実に、12年もの間、社会も、また自分自身も、彼女の人格を否定し続けていたのです。

まして、イエス様に触ったなんて言えない、彼女は、そう考えたと思います。


でも、イエス様も、触れられた瞬間、直感的に何かを感じ取ったんでしょう。
だから、それをした「人」に、こだわり続けた。
彼女も、覚悟を決めて、イエス様の前に進み出ます。


33 女は恐れおののき、自分の身に起こった事を知り、イエスの前に出てひれ伏し、
  イエスに真実を余すところなく打ち明けた。


当然、彼女が打ち明けた真実とは、病気が治ったということだけではありません。

12年もの間そんな「長血」という病気だったこと、いろんな医者にかかっても駄目、
ひどいめにもあわされ、全財産使いはたしてしまったこと、絶望に陥ったこと、
涙に暮れる日もあったと思います。
その悔しさや悲しみ、あるいは憎しみといった感情もあったかもしれません。


たとえ病気が治ったとしても、それで、よかったね…では、すまないことってあるじゃないですか。

あの医者たちは一体なんだったのか…とか、
財産もなくなって、私の12年間は一体なんだったのか…とか、
もし、彼女がそっちの方に考えが行ってしまうとしたなら、彼女が納得できるような答えは
見つからないんですよね。そこに、救いもないんです。
心に傷を負ったまま、結局、病んだままになってしまうんです。


12年という時…。これが、彼女の真実です。
彼女は、イエス様に、その真実を余すところなく打ち明けた。


その悲しみや、苦しみ、12年間の真実を、全部、打ち明けた、その後に、イエス様は、
彼女に語りかけたわけですね。


「娘よ…。」

それは、まさに、彼女の全人格に向けて、呼びかけられた言葉でした。

「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。」

こうしてはじめて、彼女の全人格に対して、本当の奇跡、正真正銘、「救い」が訪れたのです。

28節を、ちょっと見てください。 「お着物にさわることでもできれば、きっと直る」

この「直る」、ギリシャ語の原文では、全人格的な「救い」を表す言葉です。これが、彼女の信仰でした。

ところが、その後の、29 節
「すると、すぐに、血の源がかれて、ひどい痛みが直ったことを、からだに感じた。」

ここの「なおった」は、別の単語で、ごく普通の病気が「治った」という言葉が使われています。
つまり、この段階では、病気が治っただけで、救われたとは言えなかったんです。


そして、イエス様が語られた言葉、「あなたの信仰があなたを直した。」

この「直した」は、全人格的な救いを意味している言葉です。
この時、はじめて、体だけではなく、心も「元の気」を取り戻せるんです。


「安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。」


この先、彼女が、まったく病気にかからなかった…わけではないと思います。
クリスチャンになったら、カゼ一つ引かない、虫歯一本ならないという人は、まずいません。
カゼにもなれば、虫歯にもなります。
そして、いつかは、この世の生涯を閉じるときも来るんですね。彼女もまた、同じです。

しかし、たとえ死を迎えるような病気になったとしても、
もし、心は平安、すこやかに、その時をすごすことができたとしたなら、
それは、病気といえるでしょうか。病気も、もはや病気ではなくなっているような気がします。

 先ほど紹介した、余命3ヶ月と宣告された叔父ですけど、もともと脳卒中で半身不随が
ありまして、ひどい劣等感の固まり、お酒を飲んでは、わめき散らしてしまう…そんな人
だったんですよね。
教会に行くようになってからも、しばらくは、あの人は嫌いとなれば、嫌な顔して、握手も
しない…、そういうタイプの人だったんです。

でも、徐々に、徐々に、変えられていきまして、いつしか、誰にでも、笑顔で接するように
なっていきました。
退院してから3年、ある日、風邪でも引いたかな…と思ったら、実は肺炎だったようで、
病院に行く途中に、眠るように天国へと旅立っていったんですが、とっても穏やかな
最期だったらしいです。

叔父が、その生涯を、健やかに幕を閉じるためには、その3年という時が
また必要だったのかもしれませんね。


時に、私たちは、先を急ぐあまり、立ち止まって振り向くことができないことがあるような
気がします。


5:31弟子たちはイエスに言った。「群衆があなたに押し迫っているのをご覧になっていて、
それでも『だれがわたしにさわったのか』とおっしゃるのですか


特にこの現代、次から次へと情報が流れていて、瞬く間に時代は変化していきます。
立ち止まってなんかいられない、振り向いてなんかいられない…、
忙しいという字は、心を亡くす…と書きますが、一人の人のために、もしかしたら自分自身の
ことですら、振り向く余裕を失ってしまうのが、この現代なのかもしれません。


しかし、イエス・キリストは、そうではありません。


 イエスは、群衆の中を振り向いて、「だれがわたしの着物にさわったのですか」と言われた。

 イエスは、それをした人を知ろうとして、見回しておられた…。


イエス・キリストは、目には見えません。耳で言葉を聞くことはできません。
しかし、今日も、ここにいて、私たち一人一人の声を聞きたいと願っている。
かかわりを持ちたいと願っている。

信じて、救われたら、それで完了ではなくて、「きっと直る」そう信じた時から、神と人との関わり
の中で、本当の奇跡、全生涯、全人格をかけた救いが始まっていくんですよね。

私たちが、心も体も元気であるために、たった一人のためにも、振り向いて、
その人のことを知ろうとしてくださる…、それがイエス・キリストです。

 彼女は、イエスに真実を、余すところなく打ち明けた・・・。


お祈りします。
いま少し、イエス様の前に、私たちの真実を打ちあけて行く時を持ちたいと思います。

今、皆さんが、人には言えない、一人、心に抱え込んでいる悩みはないでしょうか。
もしかしたら、それは「罪」と呼ばれるものかもしれません。
過去に負った傷、まだ癒されていない傷なのかもしれません。
でも、真実なそのままの私を、イエス様に打ち明けてみましょう。



…あなたの信仰があなたを救った!! 病気にかからず、すこやかでいなさい。



posted by holyhope at 22:51| Comment(0) | TrackBack(0) | メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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