2010年11月06日

キリストの富 ルカ16:1〜18 (不正な管理人のたとえ) 

2010年9月26日 聖望キリスト教会

みなさん、おはようございます。

「暑さ、寒さも彼岸まで…」と申しますが、本当に秋分の日を過ぎたら、一気に冷え込みましたよね。
体の冷えは、体の免疫力を落とすらしいです。
ぜひ、みなさん、お体には気をつけていただきたいと思うところです。


●文脈から読み取る


さて、今日の箇所は、非常にわかりにくい箇所ではないかと思います。

以前、Oさんからですね、
「ここの箇所、まったく意味がわからないよ。次のメッセージでやって」とリクエストを受けまして、
正直、そのとき私自身も、このたとえ話の意味は、まだ、わからなかったんですよね。
おそらく、私やOさんだけではないと思います。

でも、わからないままというのも癪なんで、今日は、この箇所に挑戦しようというわけです。

まず、この不正な管理人のしたことは、120%不正、ズルです。
ところが、「不正の富で、友を作れ」だとか、「不正の富に忠実でなければ…」だとか、
イエス様が、あたかも不正を薦めるかのような発言に、私たちの頭は???になってしまうわけですよね。

聖書の注解書を見ても、まず「非常に難解な箇所」などと書かれていまして、
そんなことは、わかっとるわい!と言いたいところなんですが、
その解釈は、注解書によって、それぞれ違う…それくらいの箇所なんです。

決して、イエス様が不正を薦めているわけではなかろう…ということから、
たとえばですね、不正な管理人が書き換えさせたのは、自分の取り分や利息であって、
実は主人に損はさせていないんだとか…?
苦しい言い訳のような、まるで、イエス様の話を弁護でもするかのような、そんな解釈もあります。

いやいや、でも、最初の使い込みから考えれば、不正は不正、ズルはズルなんですよね。

また、ある注解書では、
「『不正の富』とは『この世の富』のことで、『まことの富』とは『神の国の富』のことを指す」とも
書かれています。なるほど、わかりやすい、そんな気もしますよね。

ですが、13節になると、
「…あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」と出てくるわけですよ。
結局、この世の富に忠実であるべきなのか、そうではないのか、わけがわからない。
これでは、Oさんからも、「結局、どっちなのよ!」って突っ込みをいれられてしまいそうです。

どんな文章であっても、一文の意味は文脈、前後の文章によって決まります。
これが文章読解の大原則です。
もし前後の文脈と、つじつまが合わないとしたら、その理解は間違っているといえますし、
逆に、文脈から切り離した瞬間、いろんな解釈も生まれてしまいます。

ですが、聖書って、案外、一部分だけを抜き出して、読むことが多いと思うんですよ。
それで、つい、わからない箇所ほど、視野が狭くなって、前後が見えにくくなってしまうのかもしれません。

しかし、聖書の一章一節も、あくまで前後の文脈、極端な話、聖書66巻全体の流れの中で読み取る必要があるわけです。

実に、私たちがわからないのも、決して「不正の富で、友を作れ」という日本語そのものの意味ではなく、
文脈の流れが通らない、わからなくなっているのではないでしょうか。

たとえば、もし、この時に登場しているのが、悪魔で、誰かをそそのかして「不正の富で、友を作れ」と言っている話なら、なんだか、すんごく、わかるような気がするじゃないですか。
ところが、なぜ、この時、イエス様が、こんなことを語ったのか、そこが、わからない。
それを教えてくれるのも、あくまで聖書本文、前後の文章、文脈ということになります。

文脈を読むというのは、単に言葉や文字の意味を追いかけることではありません。
前後の文章を手がかりに、その時の状況や、背景を探り、なぜ、このようなことが語られたのか、その意味を探る…、言い換えれば、キリストの心を読むということになるわけです。

そこで、今日は、このたとえ話の解釈、意味だけを追いかけるのではなく、このわからない箇所を、文脈から読み取る…、その読み方まで一緒にみていただければと思います。


●たとえ話の背景

まず、この話は、いったい、誰に、どういった状況で話されたことでしょうか…。
そこから見ていきますが、16章1節には、「イエスは、弟子たちにも、こういう話をされた。…」と出てきます。
「にも」ということは、まだ、その他に前がありそうですよね。実に、この話は、その前の15章から始まっているんですよね。

15:1 さて、取税人、罪人たちがみな、イエスの話を聞こうとして、みもとに近寄って来た。
15:2 すると、パリサイ人、律法学者たちは、つぶやいてこう言った。「この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする。」

度々出てくる話ですが、主イエスの周りに罪人たちが集まってきて、一緒に食事をしていたわけですね。
ユダヤの世界で、一緒に食事をするのは、和解や赦しを意味していますから、もうこの時点で、イエス様が罪人たちの罪を赦しちゃっていることになるわけです。
それをパリサイ、律法主義者たちが、神を冒涜しているだの、律法を無視しているだの、あれは罪人の仲間だの、いちゃもんをつけている、まーよくある場面です。

15:3 そこでイエスは、彼らにこのようなたとえを話された。

そこで彼ら…というのは、パリサイ派、律法学者でしょう。彼らに、語られたのが、超有名な3つのたとえ話。
・迷える1匹の子羊を捜し求める羊飼いのたとえ。
・なくなった銀貨一枚を見つけて、尋常じゃない喜び方をする女性の話。
・最後に、いなくなった放蕩息子を大喜びで迎える父親のたとえ話。

あなたがたは、天の父を誤解している…。迷った一匹の子羊も、なくなった1枚の銀貨も、どんなアホな放蕩息子であっても、戻ってきたら、喜んで迎える神なのだ。
どれも福音中の福音、代表作ともいえる、たとえ話3連発です。

そこに加えるかのように、
16:1 イエスは、弟子たちにも、こういう話をされた…。というわけです。それが、今回のたとえ話となるわけです。

状況、場面は、わかりましたでしょうか…。
まず、主イエスがいて、そこに集まってきた罪人たちがいたわけですね。一方で、それを非難するパリサイ派、律法主義者たちがいたわけです。
その状況の中で、弟子たちにも語られたのが、このたとえ話というわけです。

●何が「不正な富」なのか


さて、いよいよ、このたとえ話を見ていきますが、
不正な管理人が、その使い込み、不正がばれたというんで、さらに不正を働いて、身を守るために主人が貸した負債者の証文を書き換えちゃうんですね。
これを、文字そのままに実践すれば、立派な業務上横領で逮捕されます。永遠…とはいいませんが、刑務所に1年くらいは迎え入れられて、お友達ができるかもしれません。

ですから、この管理人のしたことは、その前の使い込みも含めて、本当に120%の不正、立派な横領、犯罪なんです。

ところが、この主人は、この120%「不正」を赦すばかりか、抜け目なく、ようやったと、ほめたというんです。ここが、わかりにくいところ。
おまけに主イエスは、弟子たちに、「不正の富で友を作れ」とまでいうわけですよね。なんなのか…。
でも、これは、たとえ話ですから、何かのたとえとして、話しているわけですよね。

そこで注目したいのは、
いったい何を例えて「不正な富」としているのか…、実際には何を指しているのか…なんです。

実は、この時、この場面で、「不正」とされていたことがあるんです。なんでしょうか…?

まず主イエスが一緒に食事をしていた罪人たち、取税人たちに不正があったかもしれません。
彼らはローマに納める税金以上のものを取り立て、それを自分の利益にしていたわけです。

そしてさらには、主イエスがその罪人たちと一緒に食事をする、罪を赦すということ…、
実にパリサイ派、律法学者たちにとって、これこそ、まさしく120%「不正」極まりない行為、できれば石で撃ち殺したい、やがては本当に十字架に展開していくほどの「不正」だったんですよね。

何が正しく、何が間違っているのか…というものは、ものの見方、立場が変われば、まったく逆になってしまうことがあるものです。
それを裏付けるように、この話のあとにも、またパリサイ派の人たちが登場してくるわけです。

●背後にいるパリサイ派


16:14 さて、金の好きなパリサイ人たちが、一部始終を聞いて、イエスをあざ笑っていた。

彼らからすれば、そんな馬鹿な主人がいるかよ…、そんな話に聞こえたかもしれません。
ルカは皮肉も込めて、「金の好きな…」と書いていますが、彼らは、それこそ、この世の富には、ものすごく忠実だったんでしょう。
ここでも「不正の富」を、「この世の富」としてしまう解釈は違うことがわかります。

16:15 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、人の前で自分を正しいとする者です。」

ここに、主イエスのパリサイ派に対する反論、主旨があるわけです。
彼らは、自分を正しい者として、罪人たちや、その罪人を赦す主イエスを非難していたわけなんですよね。つまり15章のはじめから、この一連の話はまだ続いているわけなんです。ここに、文脈で読む大切さがあるんです。

16:18 だれでも妻を離別してほかの女と結婚する者は、姦淫を犯す者であり、また、夫から離別された女と結婚する者も、姦淫を犯す者です。

もし、この一文だけを抜き出して読んでしまうと、離婚して再婚するのは、罪。姦淫だということになってしまいます。
似たような箇所から、クリスチャンは離婚もしてはいけない、離婚した人がなんだか肩身の狭い思いをしてしまうようなこともあるんですが、実は、これがまったく違うことを意味している一文としたら、みなさん、驚きますか?

それが、文脈なんです。
なぜ、ここで、いきなり離婚だの、姦淫だの、そんな話が出てきたんでしょうか。あまりにも唐突で、話の流れが見えてこないですよね。なぜでしょう。

この時、主イエスの周りには、思いっきり姦淫の罪を犯してきた罪人たちもいたからではないでしょうか。

まず、有名なのは、マグダラのマリア。
彼女は遊女、売春婦の一人だったといわれています。彼女の売春婦仲間も集まっていたのかもしれないですし、その他にも、主イエスの周りには、多くの遊女たちが来ていたようです。

また、別の箇所では、バツ1、バツ2どころじゃない、バツ5で、現在、別の男と同棲中のサマリアの女性にも、主イエスは声をかけています。ですが、決して、あなたのしていることは姦淫だとか、あなたは神に忌み嫌われている…なんて言わないわけですよ。
むしろ逆です。
彼女は、同じサマリア人の目をも避けるように井戸に水を汲みに来ていたわけですが、
その彼女に「わたしが与える水を飲むなら、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」…そう語られたわけですよね。

また、あるときには、姦淫のまさにその現場で捕らえられた女性が、主イエスの前に連れてこられたこともありました。
そのときに、イエス様は何ていわれたでしょう…。

「あなたがたのうち、罪のないものが石を投げなさい。」

いいでしょうか…。
主イエスの周りには、離婚、再婚どころではなく、まずリアルに正真正銘、姦淫の罪を犯してしまった女性たちもいたんです。もちろん男性でもいたかもしれません。主イエスは、そういう罪人たちとも、食事をしていた、赦していたんですよね。
パリサイ派の人たちは、そういう罪人たちを、どうして赦すのか、それは神に対する冒涜、120%「不正」だと、非難していたんです。

それに対して、「いやいや、お前たちの仲間にだって、罪人はいるだろう。」

16:18 だれでも妻を離別してほかの女と結婚する者は、姦淫を犯す者であり、また、夫から離別された女と結婚する者も、姦淫を犯す者です。

彼らの間では、離縁状さえ渡せば、奥さんと離婚して、ほかの女性と結婚できる…、
もともと他人の奥さんであっても、旦那からちゃんと離縁状さえもらえば、結婚できる…、
ちゃんと離縁状さえあれば、それは罪ではない、「正しい」ということになっていたんです。
いやいや、それだって、同じようなものでしょ…という話なんです。


決して、離婚も再婚もしなければ、正しいということではないですよ。
主イエス、神様の目から見たら、情欲を抱いて異性を見るなら姦淫も一緒、
兄弟に向かって愚か者というなら、人を殺すのも一緒、
夫婦で喧嘩しているなら離婚も一緒ということになるのかもしれない。
私たち人間には、誰しも、その心のうちに、同じような罪の要素はあるわけですよね。

「あなたがたのうちで、罪のない者から石を投げなさい。」

これこそが、イエス様の真意、イエス様の心なんです。

いいでしょうか…。
主イエスは、離婚や再婚を非難しているのではなく、自らを正しい者として、取税人や遊女、罪人たちを非難していた、パリサイ派の人々の「正しさ」を否定しているんです。

なんてことをいうと、このキリスト教の世界では、竹下は離婚を肯定しているという非難もありそうな気もするんですが、
罪を赦す、その負い目を取り除くということ…。
イエス様も、そのために神を冒涜しているとか、「不正」だとか、数々の非難を受けていたんですよね。

●不正の富で友を作れ

イエス様が十字架を背負い、この世を離れた後、今度は弟子たちが
「なぜ、罪を赦してしまうのか。それは不正だ。」
こういった非難を受けていくことになるわけですよね。
だから、パリサイ派を前にして、弟子たちに言われたんです。

 人は、いろいろというかもしれない。非難を浴びるかもしれない。
 しかし、不正の富で、友を作れ!

言い変えるならば、「罪を赦して、友を作れ」、「十字架の富で、友をつくれ。」
弟子たちに向けた、激励だったのではないでしょうか。

あくまで、このたとえ話で、管理人のしていることは、本当に不正です。
だから、これをそのままに真似したら、逮捕されます。罪は罪なんです。

しかし、この主人が、管理人の不正を赦すことは、「不正」でしょうか…。
そうではないですよね。
だとしたら被害者でもない、外野である人間が、とやかく言う必要もない話ですよね。
もし、この主人が、本当に赦すんだとすればですよ。

その代わりにこの主人は、管理人が不正を働いた損失分を、自分自身が負うことになるんです。
神は、実に、そのひとり子を与えるほどに、世を愛された。。。
事実、イエス様は、取税人、遊女、私たち人間のあらゆる「不正」、その罪を赦した代わりに、
きっちり十字架を背負って、その非難、負い目、負債を肩代わりもしたわけですよね。


実に、私たちこそ、「不正な富の管理人」みたいなものなのかもしれませんね。

今朝も主の祈りでも、こう、お祈りしましたよね。
「私たちの罪を赦してください。私たちも人の罪を赦しますから…。」


ここで、私たちには、罪があります。不正がありますって、告白しているんですが、
でも、私たちには、人の罪が赦せないようなことも、でてくるんですよね、これがまた。

決して、自らを「正しい者」とする必要はないんですよ。
正直でいいんです。
実際に、赦せないことって、あると思うんです。


小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実…ともあるわけですが、
人を赦すということ、友となるということ…。
小さいことようで、実は難しく、本当に、もしできたとすれば、非常に、大きなことなのかもしれませんね。

特に、自分自身が直接的な痛みを受けてしまったようなことは、なかなか、どうして、赦すことは難しい。
私たちには十字架までは背負えない。
それが私たちの限界でもあり、それもまた、私たちの罪といえるのかもしれないです。
でも、その「人を赦せない」という罪も、また赦されている罪の一つです。


罪とは、的外れ。人生における数々の失敗といえるでしょう。
誰しもが、多かれ少なかれ、負い目を負っていくことにもなるんです。
その罪を赦す…というのは、その罪を「正しい」とすることではなく、その負い目を取り除いてあげるということなんです。
しかも、その代償は、主イエス自らが、十字架によって支払ってくださるというわけですよ。

この主イエスの十字架のゆえに、人を赦すということ、友となっていくということ。
この十字架の富に、抜け目なく、忠実に、大切にしていくということ。。。

お金や財産といったこの世の富も、私たちにはある程度必要だし、力にもなるものですが、
本当に壁にぶつかった時、ピンチの時、私たちを助け、励まし、
私たちの人生を、本当に豊かにしてくれるのは、お金よりも、まさに「友」という存在ですよね。

もし、この十字架の富に忠実でなかったら、まことの富を任せられるだろうか…。
あなたがたが他人のものに忠実でなかったら、だれがあなたがたに、あなたがたのものを持たせるでしょう。

そのようにしてできた、まことの富、本当の「友」という存在、まさにこの仲間ですよ。
それは私たちのものである前に、キリストの友であり、神の家族なんですよね。
それは、この世の生涯ばかりではなく、永遠の神の国にまで繋がっている、本当の財産になっていくに違いないのです。

これこそ、私たちに与えられているキリストの最大の富であることには間違いですよね。
この十字架の富を、抜け目なく、忠実に、大切にしていきたいものですよね。



posted by holyhope at 19:44| Comment(7) | TrackBack(0) | メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ルカ16章、「すとんと落ちる」説明をありがとうございます。ずっともやもやしてました。

上記の説明であると、

金持ち=父なる神
管理人=イエスさま
訴えた人=パリサイ人

となると考えましたが、こういうことでよろしいでしょうか?
Posted by 谷 at 2010年11月18日 17:12
谷様

コメントありがとうごさいます。

金持ち(主人)は、父なる神様であり、イエス様であろうと思います。

管理人は、この場面で言うなら取税人であり、弟子たちでもあり、私たち罪人でしょう。

イエス様は、私たちの罪(不正の負い目・損失)のために支払うべき代価を、自分の命を身代わりとして負ってくれたわけですよね。
本来、払うべきは、イエス様ではなく、あくまで不正の管理人、罪人、私たち自身なんです。

訴えていたのは、もちろんパリサイ、律法主義者です。
…が、時に、私たちもパリサイ、律法主義者のように訴えてしまうことがあると思います。注意したいですよね。
Posted by りっきー at 2010年11月21日 21:20
りっきーさん、

どうもお答えありがとうございます。

イエス様のたとえ話って、意味を求める人にしか意味がわからない話ですね。

お働きが祝されますように。
Posted by 谷 at 2010年11月25日 14:08
はじめまして。
「不正の富」について、くわしい解説ありがとうございます。先週の礼拝でこの部分を読んだのですが、あまり理解できず、この箇所についての説明を探していました。
私のブログでこの記事をリンクしてもいいですか?
Posted by 花梨 at 2011年11月21日 23:05
お返事遅くなってしまい、申し訳ありません。
どうぞどうぞ、リンクしてください。
Posted by りっきー at 2011年12月07日 18:23
ハレルヤ!!感謝します!この不正な管理人のところで、つまっていたので、とってもスッキリしました!解りやすい解説ありがとうございます!
Posted by みさお at 2012年04月26日 03:20
みさおさん。
コメントありがとうございます。
お役に立てたようで、よかったです(^-^)
Posted by りっきー at 2012年04月26日 09:23
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