2010年12月25日

クリスチャン的景気回復 イザヤ43:18〜21

みなさん。おはようございます。
今年、最後の礼拝となりました。みなさんにとって、どんな1年だったでしょうか。

「クリスチャン的景気回復」なんて、サブタイトル付けてみましたが、まあ、世間一般的に言えば、不景気で、私もそのひとりなんですが、仕事をされている皆さんも様々な苦労も絶えない、家計をあずかる奥様はもっと大変じゃ…なんて方もいるかもしれません。

今日のイザヤ書のこの箇所は、いつの時期に書かれたか、様々な説もあるわけですが、
ただ希望を伝えている言葉ではなくて、神様から離れ、偶像に走り、結果、イスラエルの地から追われ、バビロニア(今のイラク)に囚われの身として連行されるか、あるいはすでに連行されたイスラエルの民に向けられている言葉です。

なんて言うと、なんだか、希望もへったくりもないな〜って気もするわけですが、でも、実は、今の日本の不景気も似たようなところがあるんじゃないのかな…と思うわけです。
イスラエルの民にとっては、かつて、モーセによってエジプトを脱出した出エジプトの出来事は、現実的な神の救いの証として、一つの希望の光でもあったわけです。

ところが、そのまさに紅海の海をわけ、イスラエル民を連れ出した、その神様が、
43:18 先の事どもを思い出すな。昔の事どもを考えるな。と、言うわけです。

なぜなんでしょう。
イスラエル民は、出エジプトをした神様に期待もしていたかもしれません…が、反面、昔はよかった…、あの頃は、神様が助けてくれたのに…、でも、今は助けてくれない…そんな風にも思っていたのかもしれません。
私たちは、どうでしょうか。
どこかバブル時代か、その前か、景気がよかった頃を思い出して、「あの頃は、よかった。」「でも今は、不景気で…」なんて風に、思ってはいないでしょうか。

私も普段、旅行業してるじゃないですか。聖地旅行の見積依頼もきまして出すんですが、そうすると「この不景気なのに、この金額では人が集らないんじゃないだろうか。」なんて言われちゃうんですよね。
いやあ、それで利益を削ったら、うちも不景気になりますから…とは言えないんですけど、業者の裏を話せば、安い物には、安いだけの訳もあるんですよね。一生に一度行くか行かないかのイスラエル、たとえ豪華ではなくても土地のものを味わい、ちゃんと見るものは見てもらいたいと思うんですよね。

確かに、景気はよくないんでしょう。実際、うちも仕事は増えても、利益は横ばいです。でも、これで「不景気」と言ってしまえば、さらなる景気低迷を招くように思うわけです。

ですが、本当に、日本は貧しいのか…。決して、そうではない。
世界的に見れば、圧倒的に豊かな国なんですよね。では、何を基準に不景気と言っているか、不景気だと感じているか…といえば、景気のよかった昔の頃と比較して、景気が悪い、不景気だと感じているに過ぎないんじゃないでしょうか。

まさに、バビロニアに捕らえられようとしている民に向かって、新しい出来事、新しい救いの業、言うなれば、昔の出エジプトではなく、新しい出バビロニアが起きるんだというわけです。
43:19 見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。

私たちの日常生活であっても、日が昇り、会社行って、学校行って、家事をして、日が沈む、日々、同じことの繰り返しのように思えてしまうことがあるのかもしれない。でも、実は、常に新しいこと。
私たちが、今日、生かされている、そこにある神の恵みと、明日、生かされて、明日、与えられる神の恵みは、まったく同じ、変わらないように思えたとしても、今日と明日では違う、常に、新しい恵み、新しい助け、新しい1日が始まって行くんですよね。

43:19 見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。
あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。

神様が道を造られるというと、なんだかいいようですが、よくよく考えてみると、奇妙なことが書かれているんです。どうでしょう。皆さん。気づくでしょうか。
確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。

荒野に道…なんですよ。ようは、そこを通る…ってことですよね。
申命記には、「蛇や、さそりのいる、恐ろしい荒野」なんて書かれていますが、実際に、荒野では、石をどければ、結構、蛇さん、さそりさんたちが、本当にいらっしゃるんですよ。あえて、荒野なんか、通りたくはないですよね。

でも、神様は、その荒野に道を造る、荒野に行け…とおっしゃるんです。なぜでしょう。

川を設けると言われても、そもそも年間降水量30mm以下ですから。普段は岩と砂で、見た目、まっ茶茶の世界。乾ききった土地です。
特に乾燥になれていない日本人が旅行をするときには、20分に一度は、水を含んでくださいとお願いするわけですが、そうしないと、肌からもどんどん水分が抜けていって、脱水症状を起こしてしまうんですよね。今の旅行なら、バスもあるし、エアコンもついてるし、水も積んでいます。でも、当時は、基本歩きです。荒野へ行きたいですか。あまり、行きたい場所とは思えないですよね。
でも、なぜか、神様は、荒野を通すんです。そこにいったい、何があるというんでしょう。

「人は、パンのみに生きるのではない。…」って御言葉ありますよね。

人が生きていくためには、パン以外に、何が必要ですか。
クリスチャン的模範解答で言えば、「神の言葉が必要だ。」…という答えにもなるのかもしれないですよね。でも、実際問題、みなさんが生活していくうえで、何が必要になりますか。何を必要としていますか?
とりあえず、パンと聖書一冊あれば、それで生活していけますか。
いやいや、そんなはずはないですよね。

これ、別に、意地悪で言っているわけではないですから。率直に、考えてみてくださいね。
模範解答を覚えることが、聖書を読むということではないんです。ぶっちゃけ、それだと建前…になりかねないですよね。本当のところ、生きていくために、必要になるものって、なんでしょう。いろいろあると思います。
まず、服。たとえ立派ではなくても最低限、着る服は必要ですよね。いらない…って人は、いませんよね。荒野とは違い日本は雨も降りますから、少なからず、屋根のある住む場所も必要ですよね。
衣食住、それらを得るためには、何が必要でしょう。
それらを得るためには、お金が必要ですよね。そのお金を得るためには仕事も必要でしょうし、買うためのお店も必要かもしれません。

ですが、これが荒野だったらどうでしょう。
「人はパンのみに生きるにあらず…」実に、これも荒野で語られた御言葉です。

年間降水量30mm以下の、乾ききった大地を想像してみてください。
その場所で、本当に、生きていくために必要なものって、なんでしょう。

パンよりも、まず、水が必要になります。出エジプトの民が求めたのも、まず水だったんですよね。パンだって、たとえ小麦粉があっても、水がなければ、作れないわけですよね。
別に、コンビニやお店があるわけじゃないですからね。
荒野では、どんなに、たくさんお金があったとしても、どんなにいろんなものを持っていても、もし、たった水一杯飲めなければ、もう生きてはいけないんです。私たちが都市文明で身に付けた余計なものを、一切無にしてしまうのが、荒野という世界なんです。

もちろん、食べ物も必要です。でも、荒野ではパン屋さんがパンを作ってくれるわけでも、小麦すらも何もないんですよ。そこで出エジプトの民には、マナという別のものが与えられた。ある科学者は、荒野に住むある昆虫の分泌液ではなかったかとも言っています。あるときには、鶉の群れが飛んできて、肉も与えられた。
荒野に、ひとたび雨が降れば、太陽はサンサンですから、1日か、2日かもすれば、植物たちが芽を吹き始めるんです。中には、薬にもなる草が生えたり、石鹸にもなる植物が生えたりするんです。植物があれば、そこに虫たちがやってくる。虫がいると、それを餌にする鳥や、様々な動物、それこそ野の獣、ジャッカルや、だちょうも訪れるようになっていくわけです。実に、あらゆる自然界の生命が湧きあがってくるわけですよ。そのためには、太陽も必要、雨も必要、大地も必要で、実に空気も必要です。

非常に厳しいとも、過酷とも言える荒野の世界では、限られた自然界のありとあらゆるのものが、人が生きていくために必要なものになっていくわけですよね。
それを実感できるのが、イスラエルの民にとっては、荒野という世界だったのかもしれません。

聖書では、神が言葉でこの自然界すべてを創られたと書かれているわけですが、この自然界全てのもの、全ての営みがあって、人は生きていける、生かされているわけですよ。
日本にいる私たちもですよ、この服だってそう。もとを正せば自然界にあるものから加工して造っているわけですよね。

それが、「人はパンだけで生きるのではない。主の口からでる全てのものによって生きる」という言葉の本来の意味。それを、まさにリアルに、実感込めて感じさせてくれるのが、荒野だというわけです。
43:20 野の獣、ジャッカルや、だちょうも、わたしをあがめる。わたしが荒野に水をわき出させ、荒地に川を流し、わたしの民、わたしの選んだ者に飲ませるからだ。
野の獣…ジャッカルや、ダチョウも、決して、あまりいいイメージの動物ではないですよね。でも、そんな彼らであっても、神をあがめている…と、イザヤは語るわけです。

では、私たちは、どうでしょうか。
日本には、水が豊富にあります、様々な動植物たちが生息し、木々も豊富、四季折々、いろんな食べ物が取れます。イスラエルに比べれば、圧倒的な豊かさのはずなんです。

…が、でも、実際、つい本音の部分で、「不景気」な言葉が出てきてしまうんですよね。
別に、模範解答は求めていませんから。本音でいいんです。私も旅行業、やってはいるけど、大変ですよ。弱気になったり、へこたれたり、ついつい愚痴の一つもでてきまよね。

実際、日本は、ものすごく豊かですよ。それは人間が作った経済社会はともかく、神が造った自然界を見れば…そうですよ。この自然界に対する感動、感謝、賛美が、どれだけ私たちのうちに普段あるでしょうか。。。いつの間にか、なくしていたりしません?
でも、実際、荒野に行くと、水の乏しい地で、アイベックス(野やぎ)の群れなんかが、50頭ぐらいの一家一族がずらずらと歩いてたりするんですよね。そんな荒野で生息する動植物たちの姿を見ると、実感として、俺なんか、まだまだ大丈夫、本当にそう思うんですよ。

不思議なものでして、神様を信じていなくても、聖書が言うところの神が造られたものを人は「自然」と呼び、人が作ったものを「人工物」もしくは「不自然」と呼ぶんですよね。
直感的に、人は「自然」「不自然」とに、ちゃんと分けているんですよね。

私たちは、命のない、コンクリートや、アスファルト、機械に囲まれた、あまりにも「不自然」な社会を作り上げてしまったのかもしれないですよね。
実に、不自然な社会で、不景気を感じ、心まで蝕んでいるのかもしれません。もう10年以上、年間自殺者3万人を超えていて、今年もほぼ3万人を超す見込みです。
このおかしさ、不自然さに、もう気づかなくてはならないんです。

荒野に行けとは言わないまでも、自然界に触れる、自然を見直す必要がわたしたち人間には、あるような気がするんです。
イザヤが強調しているのも、「わたしがこれを造った」創造の神だということなんです。

43:21 わたしのために造ったこの民はわたしの栄誉を宣べ伝えよう。
これは、昨年の年末もお話したことですが、正月、実家に帰ると、大体、夫婦で、初日を見に行くんですが、ぜひ、みなさんも、見にいける人は、見に行ったらいいですよ。

日本人の多くは、初日そのものを拝みにいってしまうわけですが、実は、その陽が昇るその姿に、直感的に「神」を感じ取っているからだと思うんですよね。
日本の場合、太陽そのもの、木そのもの、自然界の森羅万象その個々の中に、八百万の神々がいると勘違いしてしまったかもしれないですが、やれ偶像礼拝だとか、汎神論だとか否定しすぎるような気がします。確かに宗教的、神学的な誤りだとしても、パウロは、あらゆる被造物の中に、神の性質が現されている…と語っているわけで、その日本人の感性は、必ずしも否定されるべきものではないと私は思うわけですよ。

日本人が個々に神々が宿っていると思っていたところを、聖書では、その自然界の根源に、これらを造られた唯一の神がいるといっているわけです。
まだ暗く、寒く、冷え切ったところに、真っ赤に染まった太陽が、強烈な光と熱をもって、昇ってくる。決して、繰り返しではない、新しい1年、新しい1日の始まりが、そこにはあるわけです。それを肌で感じ取ってみてください。ご自身の目で目撃してください。

その太陽が昇り来る雄大な姿に、美しさを感じる。この太陽がなければ、私たち人間も、誰一人、生きてはないですよ。その熱と光によって、今日も生きている、今年も神に生かされている、鳥たちも羽ばたき、いのちの感動を感じる。すごいと思う。
それがまさに、この自然界を造られた神を「霊とまことによって賛美する」ってことになるわけですよね。

初日は無理という方も、ぜひ少しでもいいから、意識して、神が造られた自然界に触れるときを持ってみていただけたらと思うわけです。これらすべて、私たちが生きていくために必要なものとして、神が与えてくださっていることを感じ取ってみてください。

決して、クリスチャン的模範解答を覚えていくことでも、優等生になることでもない。
神が造られた自然界の恵みを感じ取り、それによって生かされていることを感じ取るとき、
野の獣、ジャッカルや、だちょうも、罪人であっても、神をあがめる。
リアルに、私たちの内側から、神の言葉が実現していくんです。

さて、皆さんにとって、新しい年はどんな1年になるでしょうか。
相変わらず、不景気のまま続くのでしょうか。それとも、大丈夫。日本は、ぜんぜん豊か。大もうけはできなくても、なんとかなる。そう思って、いけそうでしょうか。
私たちは、よく「新年を迎える」って言うじゃないですか。
ですが、まさに神様によって、今、新しい1年が始まろうとしているわけです。新年を迎えるのではなく、新年に向かって、景気よく、進んでいきたいものですよね。

…見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。
 あなたがたは、それを知らないのか。
 確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。



ラベル:イザヤ書
posted by holyhope at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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