2012年02月05日

振り向いたキリスト マルコ5:25~34

2月4日 TPC 東京プレヤーセンター 昼の礼拝

みなさん、こんにちは。竹下 力です。
私は、普段、月曜から金曜までは、旅行会社で働きながら、
こうした聖書のメッセージをお届けする働きもさせていただいています。

私の妻もゴスペルシンガーみたいなことをやっておりまして、
本当は、今日は、特別賛美でもと思っていたんです。
ですが、日曜からインフルエンザになってしまいまして、
もう直ってはいるんですけれども、念のため、お休みさせていただきました。

こういう時に限って、私の仕事も忙しくて、仕事に、家事に、看病でしょ。
でも、2人で倒れるわけにはいかないですから、
ウィルスなんかに負けねえ〜という信仰か、気合か、意地で乗り切るような1週間でした。
本当にはやっているようなので、みなさんもぜひ、気をつけてくださいね。

さて、イエス様もいろいろなところを旅しながら、各地を周っていたわけですが、
この時には評判が広がり、もう人気絶好調、
あそこに、イエスがいるぞ!とわかると、たちまち多くの人たちが集まってきました。

テレビもラジオもない時代ですからね。
何か珍しいものでも見れるんじゃないだろうか…。何か、ご利益があるかもしれん。
いわゆる野次馬たちも、大勢、集まってくるんです。

 5:25 ところで、十二年の間長血をわずらっている女がいた。
 5:26 この女は多くの医者からひどいめに会わされて、自分の持ち物をみな使い果たしてしまったが、何のかいもなく、かえって悪くなる一方であった。
 5:27 彼女は、イエスのことを耳にして、群衆の中に紛れ込み、うしろから、イエスの着物にさわった。
 5:28 「お着物にさわることでもできれば、きっと直る。」と考えていたからである。

この長血をわずらっていた女性もその群衆の中にいた一人です。
病気なのに、意気のいい群衆を掻き分けていくわけですから、
それはもう大変だった思います。

 「お着物にさわることでもできれば…。」なんて、言ってたら、触るどころか、跳ね飛ばされちゃうんですね。

「着物に触って、きっと直るんじゃ〜!」

こんぐらい勢い(?)、とにかく必死だったと思うんです。

あたかも、ヨン様か、最近ではグンチャンかもしれませんが、
あわよくば握手してもらおうと押し寄せる、おば様方のように、
やっとの思いで、つかんでみたら、ペテロだったりしてね。

「あんた、もう、邪魔!」

なんか言いながら、とにかく、必死で、イエス様の着物に触ったんだと思うんです。
すると、その瞬間、直った!!!というんです。

 5:29 すると、すぐに、血の源がかれて、ひどい痛みが直ったことを、からだに感じた。

私たちは、このような話を見聞きするときに、
いやー、そんなこと、あるんかな…とか、いやいや、そう信じることこそ信仰だ…とか、
彼女の病気が癒された「奇跡」そのものや、その「奇跡」を呼び起こした彼女の信仰とかに注目していくことが多いような気がします。

ですが、こうした病気が治ることは、実際、ままあるんです。
私たちは、普段、西洋医学的な考え方にどっぷり浸かっていますから、こうして病気が治ってしまうのは、まさに「奇跡」のように思えるかもしれません。

でも、東洋医学の世界ではどうか。
「きっと直る」、まず、その気になることが、治療の核だというんです。
その気になることで、本当に免疫力や自然治癒力も上がるらしいんですよ。

もうだいぶ前ですが、私の叔父も、癌の手術をしたんです。
でも、取りきれなくて、全身転移、医者からは余命3ヶ月の宣告を受けたんです。
それを聞いた私の父が、だったら最期は自宅で…と、退院させたんです。

でも、本人は、その告知を聞いていなかったんです。
というのも、手術をした後、ひどい感染症を引き起こしまして、耳が聞こえなくなったんですね。
一時は、顔がパンパンにはれ上がり、呼吸も3回止まるほど。
その度ごとに、私の父親や牧師が駆けつけては、これまた大きな声で祈るわけですよ。
半分、逝きかけていたのを、無理やり引き戻されて、今度は退院でしょ。

それまでの叔父は、神様も何も、一切、信じようとしなかった人だったんですが、神様が救ってくれた!そう信じきっちゃったんです。

そしたら、どうでしょ。。。

全身に転移していたはずの癌が、本当に、きれいになくなっちゃったんです。

なんだか、半分、ずるいような話なんですけどね。
なんせ、本人は告知されていないんですから。
ですが、とにもかくにも、こうした病気が治ることは、実際にありうるんです。

しかし、本当の奇跡は、実は、この後から起きていったんです。


 30 イエスはすぐ、自分の内から力が出て行ったことに気づかれて、群衆の中で振り向き、「わたしの着物にさわったのはだれか」と言われた。

「誰か」と言われても、もう、その他大勢の群集たちが、押し寄せているわけですよね。


弟子たちにしてみれば、
「先生、変なこと、言わんといてください。
 誰か…って、みな触っています。私だって触っていますよ。」
そんな感じだったと思うんです。

この時、実は、ヤイロという人が、娘が死にそうだから、助けてほしいっていうんで、先を急いでいたんですよね。
ヤイロも、「先生、お願いですから、急いで、娘のところに来てください。」
もう、必死で、先を急いでいたと思います。


ところが、それでも、イエス様は、動こうとしない…

 32 イエスは、それをした人を知ろうとして、見回しておられた。


なぜイエス様は、この状況の中、この一人の女性のことに、こだわったのでしょう…。
そこに、何か隠された訳があるような気がしますよね。

そこで今日は、この女性が病気を患っていた「12年」という時。

この「12年」という時…というものを考えてみたいと思うのですが、皆さん、12年前は、何をしていましたか。

私は今38です。12年前といえば、26歳になります。
26歳といえば、われらがJTJ神学校で2年生の時だったんですね。
この時、生活のために、昼間、アルバイトをしながらたったんですが、
社員並みに働かせてもらいまして、「いのちのことば社」っていうんですけどね。
同期のカイク加藤さんが3月見事に卒業していく中、もう1年余計に勉強させていただける恵みを与えられたわけです。

ま、それでバイトを辞めまして、とにかく卒業し、
その後、結婚もし、働きながらの伝道活動を行い、1社、2社と渡り歩いて、
今、「にこまるツアー」で、5年目です。

皆さんもそうだと思いますが、12年の間には、いいことも、悪いことも、いろいろなことがあるものですよね。

でも、この長血の女性、彼女の場合には、そういった12年という時、ずーっと病気のために苦しんでいたんです。
それは、それは、長い長い12年間だったはずです。

「長血」という病気が、今でいうなんという病気かは断定できないんですが、出血を伴う婦人科の病気だと思われます。
そうすると、ユダヤの社会では、彼女に触れば、汚れる…、忌み嫌われてしまうんですよね。
その病気のために、仕事も結婚もできなかったかもしれません。
そんな彼女が、人ごみ、群衆の中にいることなんて、もっと赦されない、非常識なことだったんです。

だから、群衆の中に「紛れ込み」、うしろから、ばれない様に触っていたんですよ。
実に、12年もの間、社会も、また彼女自身も、彼女の人格を否定し続けていたのです。


「イエス様に触ったなんて言えない!」
まず彼女は、そう考えたと思います。ですが、イエス様は捜し求めて、先に進もうとしない。

そこで彼女も、覚悟を決めて、恐る恐るイエス様の前に進み出ていくのです。

 33 女は恐れおののき、自分の身に起こった事を知り、イエスの前に出てひれ伏し、イエスに真実を余すところなく打ち明けた。

彼女の真実ってなんだったんでしょう。
それは、単に病気が治ったということだけではないはずです。

12年もの間「長血」という病気だったこと、
いろんな医者にかかっても駄目、ひどいめにもあわされ、
全財産使いはたしてしまったこと、絶望に陥ったこと、涙に暮れる日もあったと思います。
その悔しさや悲しみ、あるいは憎しみといった感情もあったかもしれません。

たとえ病気が治ったとしても、「よかったね!」だけでは、すまないことってあるじゃないですか。
あの医者たちは一体なんだったのかとか、私の12年間は一体なんだったのかとか…、
もし彼女がそっちの方に考えが行ってしまうとしたなら、彼女が納得できるような答えは見つからないんですよね。
そこに、救いもないんです。
心に傷を負ったまま、結局、病んだままになってしまうんです。

「12年」という時…。これが、彼女の真実です。

彼女は、イエス様に、その真実を余すところなく打ち明けたのです。

その悲しみや、苦しみ、12年間の真実を、全部、余すところなく打ち明けた、その後に、
イエス様は、彼女に語りかけたわけですね。


 「娘よ…。」

それは、まさに、彼女の全人格に向けて、呼びかけられた言葉でした。

 34 「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。…」

こうしてはじめて、彼女の全人格に対して、本当の奇跡、「救い」が訪れたんですね。
体だけではなく、心にも「元の気」、元気を取り戻せたんです。

 34 「…安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。」

この先、彼女が、まったく病気にかからなかった…わけではないと思います。
クリスチャンになったら、カゼ一つ引かない、虫歯一本ならないという人は、まずいません。
カゼにもなれば、虫歯にもなります。
私の父も、癌だったわけですが、父は癌が消えることはなかったわけですね。
人間、いつかは、何らかの理由で、この世の生涯を閉じる時が来ます。
彼女もまた、同じです。


しかし、たとえ死を迎えるような病気になったとしても、
もし、心は平安、すこやかにその時をすごすことができたとしたなら、
それは、病気といえるでしょうか。
病気も、もはや病気ではなくなっているような気がします。


 先ほど紹介した、余命3ヶ月と宣告された叔父ですけど、
もともと脳卒中で半身不随がありまして、ひどい劣等感の固まり、お酒を飲んでは、わめき散らしてしまう…そんな人だったんですよね。

教会に行くようになってからも、しばらくは、あの人は嫌いとなれば、嫌な顔して、握手もしない…、そういうタイプの人だったんです。
でも、徐々に、徐々に、変えられていきまして、いつしか、誰にでも、笑顔で接するようになっていったんです。

退院してから3年、ある日、肺炎になりまして、病院に行く途中、眠るように天国へと旅立っていきました。
とっても穏やかな最期だったようです。
叔父が、その生涯を、健やかに幕を閉じるためには、その3年という時も、また必要だったのかもしれませんね。

時に、私たちは、先を急ぐあまり、立ち止まって振り向くことができないことがあるような気がします。

 5:31弟子たちはイエスに言った。「群衆があなたに押し迫っているのをご覧になっていて、それでも『だれがわたしにさわったのか』とおっしゃるのですか」

特にこの現代、次から次へと情報が流れていて、時代は瞬く間に変化していきます。
忙しいという字は、心を亡くす…と書きますが、
立ち止まってなんかいられない、振り向いてなんかいられない…、
一人の人のために、もしかしたら自分自身のことですら、振り向く余裕を失ってしまうのが、この現代なのかもしれません。

しかし、イエス・キリストは、そうではありません。

 …イエスは、群衆の中を振り向いて、「だれがわたしの着物にさわったのですか」と言われた。
 …イエスは、それをした人を知ろうとして、見回しておられた。


イエス・キリストは、目には見えません。耳で言葉を聞くことはできません。
しかし、今日も、ここにいて、私たち一人一人の声を聞きたいと願っている。

信じて救われておしまいではなく、信じた時から、本当の奇跡、
全生涯、全人格をかけた救いが始まっていくんですよね。

私たちが、心も体も元気であるために、たった一人のためにも、振り向いて、
その人のことを知ろうとしてくださる…、それがイエス・キリストです。


 彼女は、イエスに真実を、余すところなく打ち明けた・・・。



いま少し、イエス様の前に、私たちの真実を打ちあけて行く時を持ちたいと思います。


今、皆さんが、人には言えない、一人、心に抱え込んでいる悩みはないでしょうか。
もしかしたら、それは「罪」と呼ばれるものかもしれません。
過去に負った傷、まだ癒されていない傷なのかもしれません。
でも、真実なそのままの私を、イエス様に打ち明けてみましょう。


あなたの信仰があなたを救った…!! 病気にかからず、すこやかでいなさい。



posted by holyhope at 17:02| Comment(0) | TrackBack(0) | メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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