2013年01月03日

天地創造と科学

初めに、神が天と地を創造した。創世記 1:1


新年の思いつきで書き始めてから気づいたのですが、どんな順番で書いていくのがいいのかな…と。
はい、全くノープランで始めています(笑)



ですが、初回、自然界の話が出たので、少し天地創造の話をしてみようかと。。。

キリスト教界と科学は、ダーウィンの進化論以来、どこか半ば喧嘩別れしているようなところがありますが、私は非常に残念なことだと思っています。

…ってな話をいきなりすると、クリスシャンの方の中には、びっくりしてしまう方もいるかもしれません。
でも別に、進化論を認めようって話ではないですから、ご安心を。。。

しかし、決して聖書と科学が矛盾、対立しているばかりでもないんです。
クリスチャンの間にも誤解があるんではないでしょうか。
今回は、そんなことを知ってもらえたらな…と思っています。



さて、時に科学の世界では、前提として、方程式に「神」を持ち出さない、持ち出せないということがあるんです。

たとえば医学。

クリスチャンでも、お医者さんにはなりますし、病院に受診もしますよね。。。

クリスチャンがお医者さんの治療を受けることは不信仰でしょうか。

そうではないですよね。


クリスチャンも、お医者さんが万全を着せるように神様に祈ります。

ですが、そのお医者さんが、もし手術で患部に手を当て、「神様、どうぞ癒してください。信じます。アーメン」で終了したらどうでしょうか。。。



おいおい、ちょっと待ってよ…って話になるじゃないですか(笑)。

別に医学が、神の癒しを否定しているわけでもありません。
実際、医学的には余命3か月と宣告された癌患者が、医師が認める事実として、直ってしまうこともありうるんです。(私の叔父がそうだったんですが、その話はまた今度…)



しかし、そんな神や奇跡が働かないことを前提に、病気を治療する方法を探るのが医学、神が働かないことを前提に人命救助に最善を尽くすのが医療なんです。

実はこれは説教も同じなんですよ。
もちろん神様の導きを求め、信じつつ挑むわけですが、説教準備に当たっては、神の助けが得られないつもりで最善を尽くして準備するんです。
当たり前ですよね、畏れ多くも、神の言葉を取り次ぐわけですからね。
そこに間違いや自分の勝手な思い込みがあってもならんのです。
少なくとも、私の場合には、説教準備なしに語ることなんて、よほど突発的な必要が発生しない限り、ありえません。



進化論も同様です。

この地球上には、気候風土によって、様々な多種多様の生物が生息していますよね。
また地球が形成されるステップにおいては、今とは違う、様々な環境が存在していました。
これは地球物理学的にはもちろん、創造論的にも、今の地球環境がいきなり最初から出来上がってはいないことは明らかだと思います。



そういった多種多様の生物を調べていったときに、
仮に神が働かないとしたら、生物は環境の変化に応じて、自力で変化していった…と考えたのが「進化論」です。

繰り返しますが、あくまで仮に神が働かなかったとしたら…の前提での仮説、仮定です。



どうぞ、クリスチャンのみなさん。
神が創ったと聖書が書いているのに、神が働かないなんて失礼だ!!なんて怒らないでくださいね。。。(>_<)



これが私にとって、非常に残念なことなのです。

もし皆さんの教会に、まだ神様を信じていない人が来たら、失礼なのでしょうか。。。
いやいや大歓迎の話ですよね。

「信じられない」ことに憤りを覚えますか?
いえいえ、信じられるように、神様の導きを求めて、祈ると思います。



創造主の「神」という存在が信じられない人が、生物が自力で進化したと考えても、ある意味、不思議ではないですよね。

これならクリスチャンの方にも、十分、納得できるかと思います。



しかし、一方で、進化論が科学的に証明されているわけでもないんです。
本物の科学は証明されていないことを、これが正しいと結論付けるような横暴は振るいません。



その一番の証拠になっている生物が、実は、私たち人間なんです。

つい最近まで人間に最も近い生物として、かつて「旧人」と称された「ネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス)」が、人類の祖先として有力視されていました。
ところがDNAの研究が進み、この「ネアンデルタール人」と今の私たち人間とのDNAを比較したところ、似ていても、突然変異で変化するにはあまりにも差がありすぎて不可能という科学的な結論が出ています。ですので、今は「旧人」とは呼ばれなくなったわけですね。

あ、これは科学での話ですよ。
科学の世界は、科学の言葉で立証する必要もあるんですよね。



科学的にいうなれば、私たち人間(ホモ・サピエンス)は、人間に最も近い生物より桁を外れて、ずば抜けた存在といえるかと思います。



一方、創造論的に言えば、それだけ私たち人間は、非常に巧みに創られていると言い換えることもできると思います。
反面、これは「進化論」という一つの仮説が打ち出されて、科学が熱心に研究を進めてきた成果でもあるわけです。



聖書では、「人は土から生まれ、土に帰る」とも書かれていますが、もしも神様の働きを計算に入れないで考えるとすれば、土の成分と微生物から「進化していった」という表現にもなってくるわけですよね。
あくまで神がいなかったとしたらの仮定、仮説の話ですよ。

そんな進化論を前提にしている科学者は、今もなお、なんと「土」の中に、人間のルーツになりうる生物の化石を懸命に探し求めていたりもするんです。



これも、なんか奇妙というか、不思議じゃありませんか。。。

クリスチャンは聖書には精通しているかもしれません。
でも、科学者も決して机上の空論を述べているのではなく、真摯に、聖書がいう神様が創られた被造物を研究しているんですよね。

この両者が対立してしまうのは、非常に残念な話。お互いにとって損のように思うんです。

私も科学を専攻したわけではないので、聞きかじりの知識であり、諸説もあるんだと思います。

ですがお互いに、よく見もせず、聞きもせず、ただ否定するだけでは、何も生まれてはきません。
必要なのは、対立ではなく、対話だと思うんですよね。

その橋渡しをするのが、伝道者としての使命の一つかな…と勝手に思っています。(笑)



聖書では、かなり大胆に生物の種類が省略されてしまっていますが、その大胆に省略されていることを念頭に置けば、実に出てくる順番は、進化論とあまり変わらなくなります。

要するに、創造主なる神の存在を信じているか、いないかだけの違いなんです。

そればかりか初期の地球が形成されていく行程や、環境の変化、その環境に応じて、まず植物が登場し各生物が登場してくる絶妙なタイミングは、よく見比べれば、少なからず科学と一致してきます。

なんとなんと、どんなに少なく見積もっても、科学の「か」の字もない3000年以上昔に書かれた創世記の記述と、現代科学の研究が一致してくるなんて、すごいと思いません???



神が創造されたこの世界が、どれだけすごいかを教えてくれているのが、被造物を研究している科学ということにもなるわけです。

残念ながら科学(人間の力)で全てを見極めることもできないと思いますが、究極の科学は、聖書と一致すると私は思います。

あっ…、念のため申し上げておくと、聖書の創世記で書かれていることも、全部ではないですからね。
それは、この自然界を見渡せば一目瞭然。
そんなに単純には創られていないし、とても創世記の1章では語りつくせない、私たちの理解や想像を絶するような規模の話なのです。
まさに神のなせる業。
満天の星の数を数えれないように、もし、まともに説明したら、聖書よりも分厚い本になるでしょう。




実に、この自然界には、本当に多くの生物が存在しています。
知れば知るほど、これはまさに神秘です。



そして創造論と進化論、どちらにしても、最後に登場してくるのが人間なんです。
その前提として、この全宇宙、地球という星の自然環境が形成され、その星に生息するあらゆる動植物、生物達、今のこの自然界が存在していなければ、人間も決して存在しえないのです。

進化論的に考えても、宇宙誕生から人間が誕生するまでには単なる偶然では済まされない、超、超、ウルトラミラクル、天文学的な確率で起きたスーパー奇跡の連続がなければ、誕生しえない存在であり、創造論的に言っても、これまた神の超、超、ウルトラ的なスゴ業によって創られた特別な存在なんですよね。
どちらも変わりない、本当に紙一重なんです。



…というわけで、長い話を短くすれば、
そう、たとえ、どんなに自分が平凡な存在に思えたとしても、私もあなたも、決してなんとなく生まれた存在ではなく、この全宇宙の中で、超、超、ウルトラミラクル的に生まれた存在なのです。

それを聖書では、神がこの世界も人間も創り、神に愛された存在だと伝えてくれているわけです。



…神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった。創世記 1:31

 


ラベル:創造論 進化論
posted by holyhope at 23:51| Comment(4) | TrackBack(0) | 聖書の小話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
黙示21章の天 地 海 の意味がわかって 創世1章が わかるはずです 旧約はイエス様の預言で有り 新約も預言であるはずです ですから 新しい約束が新約で有り マタイ26:26〜29 ルカ22:13〜20 で新しい約束とされてます その約束は既に神様が旧約でされてますエレミ31:31 またマタイ13章の種まきもエレミ31:27 そしていつ収穫も約束されてます 黙示14;14〜16それをマタイ24章でも預言されてます<マタ24:31> 全ての預言が黙示録に」つながるように書かれてます そして木 草 太陽 月 星 金 また葡萄酒 色色ありますが 文字どうり読んで矛盾します なのにクリスチャンは認めません エホバさんなんか 文字どうり解釈して預言が当たりません そして黙示録には イスラエル バビロン とか旧約の過去の歴史上の名が出てきます その中でもイスラエル12支派を考えますと 2000年前イエス様が 審判されているのに 再臨の時また用いられるとか矛盾です ですからあたり前に考えておかしい事をそのまま解釈します それを違う意味で例えた比喩であるという考えがまるでありませんイザヤ29:9〜13に 全ての<幻>すなわち預言が封じられたから 人の命令で教えられていると書かれてます 言い換えれば わからないから 人の戒めで教えられたに過ぎないということです 聖書をわかるということですか同じように黙示5:1で封じられた本を5:7でイエス様がと彼10:10で受け取り食べて11節伝える方がわかるのではないでしょうか?イエス様ルカ18:8で主の再臨の時 信仰人がいるだろうか?と言われました 言い換えればほとんどいないと言う事ではないでしょうかそれなのに 自分はイエス様信じてるから天国にいくと言われます しかし聖書の どこにも天国は行くところとは 書いてません 主の祈りで私たちは御国が来ますようにと祈ります どこにですか? この地ではないですか アダムの時地にこられた神様が来られるようにとイエス様が祈りなさいではないですか すなわちそれを信じなさいと言われました これも預言ではないですか? だから黙示21:5節に死もないと約束されてませんか アダムが約束破らなかったら 今も生きてませんか これこそ信じるに値することで 神様がともにすると言う事は 神様は命であるから その命がともにすることは どういう事ですか? なのに信仰人は 世的な解釈をしてませんか? どう思われますか? 神様の預言すなわち約束は完全ではありませんか? 聖書は聖書で説明できななければ 全て私的解釈ではないですか? 科学とか色色言われますが 科学に合わせて考えるのではなく 神様が万物の創造主であるわけであるから 御言葉で説明できなければ 偽物ではないでしょうか? 
Posted by 加藤大 at 2013年06月12日 18:16
はじめまして加藤と申します 私は長い間神さまはこの万物を創造されたことを信じてますがしかし創1章を心では信じてませんでした あまりに矛盾だからけです そして個人的には これは比喩打と心で思ってました あるときあるクリスチャンから イザヤ46:10はじめに成されてない終りの事を始めに書いたと神様が 言われました これを聞いたとき個人的にピーンときました なるほどだから矛盾だらけだと感じました そして7日目に安息に神さまが入られたと書かれてます そこで新約を見ますと安息日にイエス様が働いてます つまりヨハネ5:17でお父さんは今に至るまで働いていると書かれてます つまり安息されてないという事です 言いかれれば将来のことを預言されてます <イザヤ14:24参照>いつまで 黙示21:6節事は成就した ここまで 聖書は6000年しか書かれてませんそしてその後1000年が預言されてます Uぺ3:8一日は1000年 とすれば7000年です ですから神様は天地創造されましたが 聖書の記述よりはるかまえで アダムのとき人は たくさんいました ですから創世2;7も比喩です つまり天と地の意味は 私たちが考える意味ではないという事です イエス様がマタイ13:34〜35世のはじめから隠されている秘密をたとえで語られた つまり創世1章に隠された 天国の秘密をたとえで語った しかしたとえでなく告げるときが来るといわれました<ヨハネ14:26>それまで聖書は秘密のベールで包まれていることではありませんか?ですから世の信仰人は無理にでも帳尻を合わせ信じようとしてるのではないでしょうか?神様の計画に矛盾があるわけないです 真理は一つです ですから 私的解釈するなと言われました どう思われますか? 
Posted by 加藤大 at 2013年06月12日 18:21
すみません 投稿が 順番が逆になりました ご無礼 お許しください 
Posted by 加藤大 at 2013年06月12日 18:25
加藤様

コメントありがとうございます。

ここで記載した記事については、いろいろな意見、物議を醸し出しそうな内容であるのは、よく存じております。
もし混乱を招いたとしたら、申し訳ありません。

ただ、創世記1章の聖書の記述と違うと言うだけで、科学の世界で語られていることを全く見も聞きもしないで、全面否定しまうという姿勢だったり、逆に言えば、今は科学のほうを信じている方にも聖書に関心を持ってもらえれば…と思い、一つの読み物的に書いた内容です。

確かに、創世記と黙示録は対になっていますが、ここでは、そこまで深く突っ込んでもいませんし、また、そういう目的で書いているブログでもありません。
そういう意味では、「世的解釈」と捉えられてもしまうかもしれませんが、その世に向けて語りかけていくのも伝道者の使命ですので、その点はご容赦ください。

ここでは少しだけ…

天国は物理的に「行く」場所ではありませんし、黙示録で最終的に描かれているのも、新天新地の創造です。
今の世とも全く違う、時空も次元も違っている、一から新しい世界でしょう。
一方、主の祈りの「御国が来ますように。」というのは、神様の主権、神様の支配が、この地上でもなりますようにという願いであり、祈りです。
最終的に実現するのは、究極は新天新地ということになりますが、そうであっても、また今の世であっても、神様の主権で守られますようにという願いでもあります。

実際のところ、天国とはどういう場所か…、こればかりは本当に行ってみないことにはわかりません。

聖書が全てを書き記しているわけではなく、私たちには、まだ隠されている部分もあるわけですよね。
天国についても、しかりです。言うなれば、おぼろげながらに、天国の存在を知らされてもらっているだけなのです。

それをもし、無理やり、聖書から結論付けよう、断定してしまおうとすると、行き過ぎた解釈、私的な解釈へと繋がる可能性がありますので注意してください。

聖書から明確に言えるのは、この世の知恵や解釈、あるいは理解、解明した者が天国に行くのではなく、主イエスを信じる信仰によって救われるということ、神が天の御国へと招いてくださると言うことではないでしょうか。

1コリント 1:21
…事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。

まずは、ここを一番大切にしていただければと思います。
Posted by りっきー at 2013年06月12日 21:54
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