2013年01月14日

経験と不慣れ

神のみことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、思い出しなさい。
彼らの生活の結末をよく見て、その信仰にならいなさい。
ヘブル13:7

今日は関東でも雪。
特に静岡人の私は、歩くのも大変です。
こんな時、東北人の奥様は、強い味方。
足を垂直に上げ下げするように、指導?してもらっています。

普段は反抗的な私も、今日ばかりは従順です(笑)
転びたくないし…(^^;;

不慣れなこと、わからないことは、まず経験者に聞いてみるのが一番ですね。

漠然とでも、誰しも抱えている不安の一つは、死だと思います。
何で死ぬのか、いつ死が訪れるのか、その時、自分がどう振舞うのか、全くわかりません。

クリスチャンのゴールは、極めて明確です。
やがては、天の御国、イエス様の元に行きます。
…とは言っても、いざ死に面した時に、自分はどうなのかなと、ふと思ったりもします。
なんせ、まだ未経験なんで(^^;;

これまで何人かのクリスチャンの最期の時を見させてもらいましたが、一番、身近で見させてもらったのが父親です。

父が癌の余命宣告を受けた時、冷静さを装いながらも、父の手が震えていたのを覚えています。
しかし、それも、つかの間、あとは、それがどうした…くらいの勢いで、家族も本人も最期までまったく死を意識しないほどでした。

最期の1年は認知症も進んで、まるで子供のよう。。
ある意味、遠慮なく、素直に感情そのままを出すようになって、わがままの言い様も、イラっとするタイミングも、笑っちゃうほどに自分と同んなじなんですよね〜。
元は頑固な父親で散々反発もしてきたのですが、すっかり仲のいい友達のようになってしまいました(笑)

最期も死んだという気がせず、そのまま天国へ旅立って行ったような感覚です。

…なんて父親ネタを書いていると、天国から、今でも父親が何か余計な口を挟んで来そうな気分なんですよね〜。
きっと今、「何、言ってるだ!」と言ってます(笑)

クリスチャンにとって死は終わりではなく、その先にも希望があります。
それは本人だけではなく、遺された家族にとっても希望になるものなんですね。。

私自身、もう一度、父と語りあえる時がくると思うと、なんだか楽しみになるのです。
喧嘩するかもしれませんが…(笑)

自分がどういう死に方をするのかわかりませんが、死を悲観することなく、父のように家族や周りに希望と笑いをもたらせたら最高ですよね。

自分自身ではまだ経験できない死なのですが、父から、死に様=生き様を通して、一番、貴重なことを教えてもらえたように思います。

…イエスは言われた。
「わたしは、よみがえりです。いのちです。
わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。
また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。
このことを信じますか。」
ヨハネ11:25〜26

image-20130114183230.png


posted by holyhope at 18:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 聖書の小話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。