2013年02月04日

私の内にある言葉

…一日中、彼らは私のことばを痛めつけています。
彼らの思い計ることはみな、私にわざわいを加えることです。
詩篇56:5

今、皆さんのうちには、どんな言葉があるでしょうか。
それは日によってもいろいろだと思うんですね。

私も、調子がいい時には、肯定的、前向きな言葉、明るい言葉が多く心を占めています。
ところが忙しかったり、落ち込むようなことがあると、批判的、否定的な言葉が心を占めてきます。
不思議なもので、同じ物事に接しても、その時の自分のうちに、どんな言葉が占めているかで、捉え方も気の持ちようも変わってくるんですよね。

冒頭の詩篇の一節は、イスラエルの英雄ダビデの作ですが、彼はこの時、宿敵のペリシテに捕まった時とされています。
この時のダビデは、サウル王の嫉妬を買い、命を狙われ、なんと敵国に逃げこむわけですが、ダビデだとバレてしまったわけです。まさに四面楚歌。

ここで興味深いのは、ダビデは、この時の自分の状態を「彼らは私のことばを痛めつけています」と表現しているところです。
味方にも敵にも命を狙われ、恐怖や不安、あるいは惨めさ、孤独感、否定的な言葉が、ダビデの心の内にも占めてきたんでしょう。

そこに気づいたダビデは、自分の味方である神様の言葉を慕い求めるのです。

…神にあって、私はみことばをほめたたえます。主にあって、私はみことばをほめたたえます。
私は、神に信頼しています。それゆえ、恐れません。人が、私に何をなしえましょう。
詩篇56:10〜11

こうしてダビデは、人ではなく、神のことばの方を信じて、自分のうちに湧き上がる否定的な言葉から、自分自身を守っていくんです。

私たちも、この社会で生きている間には、いろんな言葉を聞きます。
そこには、いい言葉も多くありますが、否定的、批判的な言葉も多く耳にしているわけです。
また時には、過去の嫌な出来事が思い出されて、もう昔の話なのに、思いが言葉となって、自分で自分を傷つけてるなんてこともありそうですよね。。。

知らないうちに、自分自身の内に、否定的な言葉が溜まっているんです。

その言葉が、自分にむけば自己否定的になりますし、他者に向けば、批判的、攻撃的にもなります。

やがて、自分自身の内にある言葉が、自分だけに留まらず、周りの人にも伝播するんですよね。

会社の上司や仲間にも批判的な態度で接してしまったり、さらに余裕がなくなると、普段は聞いてあげられる奥様の愚痴も、はあ、面倒くせえ奴だな〜と思ってみたり?(笑)
たとえ口では言わなくても、内側にある言葉が、表情や態度になって思いっきり出てきます(^_^;)

普通は、ここで奥様も察してくれるんですが、お互いに余裕がない時には、そこで留まらず、愚痴は続き、私の言葉も荒くなり、売り言葉に買い言葉、ついには爆発するわけですね…、私が(汗)

まさに否定的な言葉の連鎖です。

実は、周りの状況ではなく、自分の内にどんな言葉が多く占めているか…の方が重要なのかもしれません。

いつも思うのですが、否定だけでは何も生み出しません。むしろ、いいものまで壊してしまいます。
自分から出た否定的な言葉は、結局は自分自身に帰ってくるんですよね。
完全に否定的な言葉を避けることもできないでしょうが、なるべくなら肯定的な言葉を蓄えられた方が自分自身も周りも幸せです。

クリスチャンにとって、自分のうちにある否定的な言葉から、身を守ってくれるのが、まさに聖書、神のことばでしょう。

私たちを愛し、私たちを生かしてくださる、いのちのことばを、せっせと蓄えていきたいものですね(^^)

…あなたは、私のいのちを死から、まことに私の足を、つまずきから、救い出してくださいました。
それは、私が、いのちの光のうちに、神の御前を歩むためでした。
詩篇56:13

 


posted by holyhope at 10:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 聖書の小話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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