2013年03月01日

「エリヤを養ったカラス」T列王記17:1〜9

(2013年2月23日 東京プレヤーセンター)

みなさん、こんにちは。
今日は、聖望教会の面々で、月一回、岩井家の家庭集会を行っておりまして、勝手に合同集会とさせていただきました(笑)。

今、この家庭集会では、創世記から始まり、大胆なくらいに、ざっくりと、聖書になにが書いてあるか見てみようということでやっておりまして、今、列王記になったところなんですね。今日は「エリヤのカラス」の場面というわけでして、無理矢理でして、TPCのみなさんにも、お付き合いいただこうというわけです。

さて、サウル、ダビデ、ソロモンと王朝が続いたわけですが、ソロモンが外国の女性に、はまりまして、偶像のための神殿まで作ってしまったんですね。

結果として、混乱をもたらし、南北に分断してしまうわけです。
南のユダ王国では、エルサレムの神殿があったからか、神様に立ち返る王も出ます。
しかし、北王朝では、南との対立もあって、ことさら偶像礼拝が続いてしまうわけです。

T列王記 17:1
…ギルアデのティシュベの出のティシュベ人エリヤはアハブに言った。「私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。私のことばによらなければ、ここ二、三年の間は露も雨も降らないであろう。」

エリヤの記事は、いきなりアハブ王に喧嘩を売っているところから始まるわけですが、この預言者エリヤの時代、アハズ王は最悪というくらいな王だったんですね。

T列王記16:31
…彼にとっては、ネバテの子ヤロブアムの罪のうちを歩むことは軽いことであった。
それどころか彼は、シドン人の王エテバアルの娘イゼベルを妻にめとり、行ってバアルに仕え、それを拝んだ。

この奥さんがまた、強烈な偶像礼拝者でして、イスラエルの預言者を迫害し、後々まで、女君主として君臨していくわけです。
そこで、身が危ないというわけで、神様からエリヤに次のことばがあったわけです。

T列王記17:3〜4
…「ここを去って東へ向かい、ヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに身を隠せ。
そして、その川の水を飲まなければならない。わたしは烏に、そこであなたを養うように命じた。」

皆さん、どう思いますか。。。

カラスですよ、カラス。
日本の真っ黒なカラスとは違って、もう少し小ぶりで、グレーのチョッキみたいな模様が入って、かわいらしいんですが、やっぱりカラスです。
普通は、飛んできて、食べてっちゃうのが、カラスなんですよね。。。

人とは言わないまでも、もう少し、犬でも、猫でも、まともな動物はいなかったのでしょうか。。。よりに寄ってのカラスなんです。

しかし、エリヤは、神様の言葉通りに身を隠すんですね。

17:6 幾羽かの烏が、朝になると彼のところにパンと肉とを運んで来、また、夕方になるとパンと肉とを運んで来た。彼はその川から水を飲んだ。

なんと、けなげに、カラスがせっせと運んでくるんです。
神様の言葉に従うエリヤもすごいですが、このカラスたちも偉いじゃないですか。

もちろん、これは単なる偶然ではありません。
偶然どころか、普通は、カラスが運んできてくれるなんてことはありえないわけですよね。むしろ自分が食べるために、人のものも奪ってしまうのがカラスです。

そこは、やっぱり神様が命じて、神様が働いているからこそ、カラスは運んでくるんですが、それにしても、なぜ、神様は、この時、カラスに運ばせたんでしょうか。なぜ、カラスを選んだんでしょう。

実に、このエリヤを養うカラスの姿を見たときに、まず、私自身が、このカラスのようであるべきだな…って思うんです。

私が神学校時代、いのちのことば社でバイトしながら、学校に通っていたんですが、なんせ、一人暮らしのバイト暮らしじゃないですか。大して、ろくなものを食べていなかったんですよね。

すると、同じ職場にいたおじさん…、聖望教会の小林さんなんですが、だったら家の近くに住んで、たまに、ご飯でも食べにきなよ…ということで、それで市川に住み、今の聖望教会にも集うようになったんですね。
まあ、早い話、餌付けされたようなものですよね。

さらには、なんと小林さんの奥さんが、お昼のお弁当まで毎朝、届けてくれるようになったんですよ。
それを聞いた、同じ職場の人が、まさに「エリヤのカラスだね」と言ったんですが、まさに、それは本当に、有り難い話です。

ここで終われば、すんばらしい話で終わるんですけど、間髪いれずに、そのご主人、小林さんが…、なんて言ったと思います?

「うちの場合、カラスが飛んできて食べてっちゃう…。」

さもありなん。。
私こそ、本来の、まさにカラスみたいなものなんですよね。

そのほかにも、今日は聖望教会の面々が来てくれましたが、これまで、私も、静も、多分に聖望教会の一人一人に養われてきたんだよな…って思うんです。
それは、食べ物ばかりではなく、慰めであったり、励ましだったり、時には笑い話、冗談も含めて、さまざまな助けを受けながら、養われてきたわけです。

では、そんなカラスみたいな私が、聖望教会に、あるいはTPCに、また、ほかの人々に、何を与えることができるんだろう、何を運べと命じられているんだろう…って考えるとですね、私の場合には、やっぱり一番は聖書の言葉、いのちのパンを運ぶことだと思うんです。
ついつい、メッセンジャーと言うとね、えらくなりがち、高くなりがちなんですが、でも所詮、カラスですから。
せっせと御言葉を運ぶカラスになれたら、いいんじゃないかな…って思うんですよね。
これが静だったら、歌になるかもしれないですよね。与えられた音楽の才能を持って、歌を届ける。

私たち一人一人、与えられているものには違いがあるだけで、お互いに自分が持っているものを、必要な人のところに運び、時には、運んでもらいながら、お互いに養いあっていく…、実に、これこそ聖書、神様の求めている「愛し合う」という姿なんですよね。

カラスでさえ、神様が命じられると食物を運んでくるというのに、人間は何をしているかというと、さらに貪欲で、与えられたものでは飽き足らず、イスラエル人は偶像礼拝に走っていたわけです。
でも、これは、決して、人事ではなく、私たち、自分自身も含めて、人間の一面でもあるわけです。

預言者エリヤも、このカラスに養われながら、何かを感じ取っていたんではないだろうか。。。

このあと、川が枯れてしまうと、神様は、やもめ、未亡人のところに行けと言うんですよね。今度は、カラスではなく、やもめです。
しかも、このやもめは、もう最後一握りの粉で、息子と一緒にパンを食べて死のうとしている…、そんな極貧状態のやもめだったんです。
でも、それは、あくまで神様のみことばが、先にあったからです。

17:9…「さあ、シドンのツァレファテに行き、そこに住め。見よ。わたしは、そこのひとりのやもめに命じて、あなたを養うようにしている。」

神様の言葉、何もなくして、やもめから、最後の粉を奪えば、間違いなく、甕の粉はなくなりますんで、絶対に真似はできません。
我が家の米も、食べれば、普通に減ります。これは特別な事柄ですので、良い子は絶対にマネしてはいけません。
しかし、今日は、このやもめが、シドンにいるやもめということに注目したいと思います。

最初に、シドン…って出てきましたよね…。
そう、まさにこれからエリヤが対決しようとしているアハズ王の妻、悪妻イゼベルのお膝元がシドン(今のレバノン)なんです。まさに敵陣なんですよ。もちろん、このやもめも偶像礼拝者であったことでしょう。

なんと、本来、エリヤが本来一番嫌っていた偶像礼拝者のところに、神様のことばを運んでいくわけです。
もう一度、1節を見ていただけますか。

17:1 ギルアデのティシュベの出のティシュベ人エリヤはアハブに言った。「私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。私のことばによらなければ、ここ二、三年の間は露も雨も降らないであろう。」

この時のエリヤには、「私の仕えている」、「私のことば」、「私」が先行していて、ほかの箇所に見られるような、「主のことば」がないんですよね。

実に、エリヤも神様が遣わされたカラスに養われ、カラスから学んだように思うんですよね。。。エリヤもまた、カラスのように、命じられるまま、御言葉を運んでいったんです。

それで、偶像礼拝をしていた家族のところにも、救いがもたらされ、偶像礼拝の地にあっても、天地を造られたこの神こそが神であることが明らかにされたわけです。
そして、いよいよバアルの預言者への対立と向かうわけです。

私たちにも、神様が送ってくださるカラス的な存在が、実は多くいるように思います。
必ず誰かに助けられながら存在しているんですよね。
ならば、私たちも、人それぞれに運ぶものは違いがあっても、神様が命じられる時、このカラスのように、必要なものを必要な人へ、せっせと運ぶ存在でありたいものですよね。

17:4「…わたしは烏に、そこであなたを養うように命じた。」


ラベル:列王記 エリヤ
posted by holyhope at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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