2013年12月24日

家畜小屋で生まれた救い主

(2013年12月24日 聖望キリスト教会 イブ燭火礼拝)

メリークリスマス!

今日は蝋燭の明かりの中で、静かにクリスマスを思うときが与えられているわけですが、皆さんはどのような思いでお迎えでしょうか。
それぞれに感じるところがあるのではないかと思います。


今年のクリスマスに当たって、私個人が考えさせられたのは、イエス様がお生まれになったのが、実に、家畜小屋だったということなんですよね。。。
それは、ただ単に宿屋がいっぱいでとか、そのほうがお涙ちょうだいできる…ということではないんです。


ルカの福音書
2:12 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。


これが、「あなたがたのためのしるし」だったんです。

よくメッセージでは、家畜小屋だったからこそ、羊飼いも救い主の元に行くことができた…なんてお話したりもするんですが、羊飼いたちは、当時、最も身分が低く、人々から大変、嫌われる職業だったんですね。そんな羊飼いたちは、救い主知らせを受けて、急いで行き、喜んで帰っていったと聖書では書いてあります。

でも、自分だったら、どうでしょう。。。
家畜小屋で生まれた赤ん坊を、果たして、救い主として受け入れられるでしょうか?
あるいは、反対に、もし自分が救い主の立場だったら、あえて家畜小屋で生まれたいって思うでしょうか。正直ね、そうは思えないような気がするんですよね。

先にお読みしたミカ書の預言では、こうあります。


5:2 ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。
その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。

ベツレヘムは昔からある丘陵地帯にある農村地帯です。
ダビデの町、ダビデ王の出身地ではありましたが、この預言者ミカの時代になると、ベツレヘムは、小さなもの、小さな村となっていたようです。

でも、その小さなベツレヘムから、イスラエルの支配者が出る。しかも、それが昔から、永遠の定めであると言うわけです。

その小さなベツレヘムの、しかも家畜小屋。当時は、洞窟を改造して作られた家畜小屋であったとも考えられています。
その家畜小屋に主イエスは、お生まれになったわけです。


私たちは、ついつい大きなもの、立派なものに目が向いてしまいがちかもしれません。

キリスト教会も、何人の教会になったとか、立派な会堂が建ったとか、そちらの方に目が向きやすいし、その方が説得力もあるのかもしれない。
でも、神様は、目立たず、弱い、小さな者の方へと目を注がれているわけです。

かつて、私が神学校時代に、講師に来た先生が、こんな風に言ったんですよね。
「私は、1000人の人たちが集う日本で最も祝福された教会の牧師をさせていただいてるものです。」


私も、高慢というか、鼻っ柱だけは強い、生意気な若造でしたからね。。。
「何を〜!。聖望教会は30人だけど、世界でもっとも祝福されている教会の一つじゃ」と、口には出さないまでも、そのくらいには思ったりしたもんです。

決して、大きいこと、人数が増えることがいけないわけではないです。むしろ、目指すべきかもしれない。でも、小さな者、小さな群れ、小さな教会を軽んじてもいけないんです。


聖望教会も最初5人から始まったと聞いています。その最初の5人の小さな群れの中にも、主は共にいてくださり、祝福してくださっていたんですよね。世界でもっとも祝福されている教会の一つだったんです。だから、今もあるわけですよね。

仮にこの先、聖望教会が100人、1000人になったとしても、その大きさを誇るのではなく、最初の5人の小さな群れを軽んじなかった主を忘れない、そんな主を誇るものでありたいものですよね。


私たち自身は、どうでしょう。。。
私たちもまた、クリスチャン、5年、10年やっていると、小ささを忘れて、大きなものになってしまうことがあるのかもしれない。私なんか要注意ですよね。元々、高慢なものですから。外部でいろいろ活動していけば、もっと高慢になっちゃうかもしれないですよ(笑)。

逆に言えば、心のうちには、そういう罪の性質もしっかり抱えているんですよね。

どんなに綺麗に掃除していても、実は、今もなお、醜いもの、汚い言葉も出てくる、まさに家畜小屋。いろんな欠点や弱さ、罪もある、小さな者かもしれません。

先日の宮村先生の説教から借りれば、今もなお、闇がある…それが真実でしょう。
クリスマスは、自分自身の内にある、そんな家畜小屋を思い起こす時なのかもしれない。

でも、いいでしょうか。ここがポイントです。

主イエスは、私たちの心の綺麗で立派な部分というよりは、その家畜小屋にこそ、来てくださるお方なんですよね。


 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。
 これが、あなたがたのためのしるし…


クリスチャンになったばかりの時も、もしかしたら今もなお、家畜小屋同然のような私たちの心に、命を宿し、そればかりか十字架の愛によって、洗い流してくださっているのがイエス・キリストです。

家畜小屋のような私たちの心にも来てくださる救い主を、感謝と喜びをもってお迎えする、そんなクリスマスでありたいものですよね。
最後に、ヨハネの福音書1章4節、5節を共に味わいたいと思います。

…この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
  光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。



ラベル:クリスマス
posted by holyhope at 14:51| Comment(0) | TrackBack(0) | メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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